2018年 コルシカ島 ノンザ村(2) nonza

ノンザ村での滞在は7日間の予定でした。

滞在をサポートしてくれたのは、貸別荘のオーナーでもある村長のジャンさん、裏の家に住んでいて普段はイタリア本土で高校の先生をしているジュリアさん、村で唯一ギャラリーを経営しているフローレンスさん、3人が交代で毎日足りないものはないか?生活は大丈夫か?村の砦を案内しようか?と提案してくれます。

ジャンさんの提案で、滞在最後の日にスケッチ作品の発表とテレビ局の取材、歓迎のコンサート(コルシカ民族音楽の混声合唱)まで企画されて、北部コミュニティにポスターまで張られました。

 

さて、このうれしい企画が原因で実のところ、のんびり絵を描いているどころではなくなったのです。今までのスケッチ旅行は、帰国してからの大作のためのスケッチを何枚も描いていくので印象的な早いスケッチが多かったのですが、“テレビが入って展覧会をする”となると作品を完成に近い状態にまで仕上げなければなりません。

一同は、それこそ明るいうち(ヨーロッパはこの時期夜9時まで明るい)は、すべての時間を絵の制作に費やしました。ギャラリーの広さを考えると一人4枚は出品しなければなりません。

到着日とパーティ当日と出発の日を除けば中4日しかありませんでした。現地で取材、現地でスケッチ、その場で仕上げですから。私は水彩、師匠はパステル、Nさんは油絵、Kさんは日本画ですから、それはそれは大変な作業量に4人ともバテバテだったのも事実です。

 

なんとか形になる目処もついたところで、ジュリアさんがパーティの相談にやってきました。

「イツコ、コルシカの人たちに日本食食べさせてあげてくれない?」パーティは歓迎のコンサートの後ギャラリーでのお披露目を兼ねてアトリエで開くそうで60人くらいと軽く言われました。おっとこれまた大変…そこでやはりみんなが食べるのはお寿司でしょう?女性は私とNさんと二人、こんなへき地でも手に入るお米とお酢、卵、キノコ、キュウリ、などから相談してちらし寿司とお稲荷さん、おむすびにしました。旅の必需品で塩昆布とインスタント稲荷あげは持ってきていたのです。

 

コンサートの男声合唱(ポリフォニー)は素晴らしくよく通る声。もともと山岳地帯のこのエリアは牧羊の声掛けや仲間への連絡を山をぬけるように独特の言い回しで伝えていたのが発祥と言われています。歌い方も独特で輪になってお互い向き合って歌います。山羊の角笛も一緒になり会場の教会に鳴り響いていました。

 

さて夕方になってパーティの開催です。

村長のジャンさんが私たちの日本での絵画活動など紹介して日本とコルシカの友好を高らかに宣言したところで、日本人の作った不思議なお寿司について説明していました。握っていないお寿司(ちらし寿司)も初めてなら稲荷寿司も見るのも聞くのも初めて。ちらし寿司・稲荷寿司・おむすび‥この中で一番好評だったのは何だったと思いますか?

何度も何度も現地の人に聞かれました。

「この茶色の袋は何ですか?」

お寿司には見慣れている人たちも稲荷寿司を見るのは初めてだったのです。逆さにして錦糸卵とキュウリが飾ってあるのも、いかにも日本的でフランス人的には大うけでした。

通訳の女性にお豆腐を揚げたものだと説明してもなかなか伝わらなかったですね。

あっという間にお皿は空になりました。

 

私たちの絵画は大変好評で、地元TVに取材され、翌日の地元の新聞にも取り上げられました。

実り多い1週間を過ごし、ノンザ村を発つ朝、みんなが見送りに来ているのに、なんとレンタカーがバッテリー上がり!!空港レンタカー会社に掛け合ってくれて代車を手配してくれて、乗らない荷物を自分の車にも積んで送ってくれたジャンさん本当にありがとう。

帰り際に再会の約束をして別れたのでした。

 

その1年後、今度はジャンさん夫婦が日本に来て名古屋市長にコルシカからの親書を渡し、私たちの展覧会に出品。ジャンさんは私たちに「僕たちは家族になった。いつでもコルシカに帰ってきてノンザに住んでくれ」と言ってくれました。こんなスケッチ旅行がきっかけでこんなつながりができるとはだれが想像したでしょう?

本当に心に残る美しい村です。

 

Copyright©2003-2017 Akai Newspaper dealer

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ノンザ村での滞在は7日間の予定でした。

滞在をサポートしてくれたのは、貸別荘のオーナーでもある村長のジャンさん、裏の家に住んでいて普段はイタリア本土で高校の先生をしているジュリアさん、村で唯一ギャラリーを経営しているフローレンスさん、3人が交代で毎日足りないものはないか?生活は大丈夫か?村の砦を案内しようか?と提案してくれます。

ジャンさんの提案で、滞在最後の日にスケッチ作品の発表とテレビ局の取材、歓迎のコンサート(コルシカ民族音楽の混声合唱)まで企画されて、北部コミュニティにポスターまで張られました。

 

さて、このうれしい企画が原因で実のところ、のんびり絵を描いているどころではなくなったのです。今までのスケッチ旅行は、帰国してからの大作のためのスケッチを何枚も描いていくので印象的な早いスケッチが多かったのですが、“テレビが入って展覧会をする”となると作品を完成に近い状態にまで仕上げなければなりません。

一同は、それこそ明るいうち(ヨーロッパはこの時期夜9時まで明るい)は、すべての時間を絵の制作に費やしました。ギャラリーの広さを考えると一人4枚は出品しなければなりません。

到着日とパーティ当日と出発の日を除けば中4日しかありませんでした。現地で取材、現地でスケッチ、その場で仕上げですから。私は水彩、師匠はパステル、Nさんは油絵、Kさんは日本画ですから、それはそれは大変な作業量に4人ともバテバテだったのも事実です。

 

なんとか形になる目処もついたところで、ジュリアさんがパーティの相談にやってきました。

「イツコ、コルシカの人たちに日本食食べさせてあげてくれない?」パーティは歓迎のコンサートの後ギャラリーでのお披露目を兼ねてアトリエで開くそうで60人くらいと軽く言われました。おっとこれまた大変…そこでやはりみんなが食べるのはお寿司でしょう?女性は私とNさんと二人、こんなへき地でも手に入るお米とお酢、卵、キノコ、キュウリ、などから相談してちらし寿司とお稲荷さん、おむすびにしました。旅の必需品で塩昆布とインスタント稲荷あげは持ってきていたのです。

 

コンサートの男声合唱(ポリフォニー)は素晴らしくよく通る声。もともと山岳地帯のこのエリアは牧羊の声掛けや仲間への連絡を山をぬけるように独特の言い回しで伝えていたのが発祥と言われています。歌い方も独特で輪になってお互い向き合って歌います。山羊の角笛も一緒になり会場の教会に鳴り響いていました。

 

さて夕方になってパーティの開催です。

村長のジャンさんが私たちの日本での絵画活動など紹介して日本とコルシカの友好を高らかに宣言したところで、日本人の作った不思議なお寿司について説明していました。握っていないお寿司(ちらし寿司)も初めてなら稲荷寿司も見るのも聞くのも初めて。ちらし寿司・稲荷寿司・おむすび‥この中で一番好評だったのは何だったと思いますか?

何度も何度も現地の人に聞かれました。

「この茶色の袋は何ですか?」

お寿司には見慣れている人たちも稲荷寿司を見るのは初めてだったのです。逆さにして錦糸卵とキュウリが飾ってあるのも、いかにも日本的でフランス人的には大うけでした。

通訳の女性にお豆腐を揚げたものだと説明してもなかなか伝わらなかったですね。

あっという間にお皿は空になりました。

 

私たちの絵画は大変好評で、地元TVに取材され、翌日の地元の新聞にも取り上げられました。

実り多い1週間を過ごし、ノンザ村を発つ朝、みんなが見送りに来ているのに、なんとレンタカーがバッテリー上がり!!空港レンタカー会社に掛け合ってくれて代車を手配してくれて、乗らない荷物を自分の車にも積んで送ってくれたジャンさん本当にありがとう。

帰り際に再会の約束をして別れたのでした。

 

その1年後、今度はジャンさん夫婦が日本に来て名古屋市長にコルシカからの親書を渡し、私たちの展覧会に出品。ジャンさんは私たちに「僕たちは家族になった。いつでもコルシカに帰ってきてノンザに住んでくれ」と言ってくれました。こんなスケッチ旅行がきっかけでこんなつながりができるとはだれが想像したでしょう?

本当に心に残る美しい村です。