盛田昭夫の企業哲学と平岩外四の共生の経営論は、企業論としては最高のものです。言い方が異なっているだけで、ともに共存・共生の思想で貫かれています。労使間において、地域との関係において、世界経済において共存が目指されています。企業活動を通してみんなで幸せになろうが彼らの共通の思想です。

 それゆえ、日本の企業において、世界の企業において、彼らの思想が、導きの糸として君臨していいはずなのですが、全く逆で、新自由主義に席巻され、二人の企業論は過去の遺物のように忘れられています。

 馘首自由の非正規雇用制をつくったり、安い労働力を求めて海外進出に狂奔したり、社会生活に必要な社会制度を破壊したり、建設しなかったりという具合です。市民は泣き、世界は混乱し、非道徳的事件が起こされています。儲けのため、我関せずの風潮。これが新自由主義です。

 しかし、人間は道徳なしには人間として生きていくことはできません。必ず道徳は求められるものです。今は二人の企業哲学と共生の経営論は日陰に追いやられていますが、必ず復権する日が来ます。その日のために、私は、共存・共生の道徳論を持つ盛田昭夫の企業哲学と平岩外四の共生の経営論は大切なものと言っておきます。

 

 最後に、平岩の原発事故にかかわる責任について触れておきます。

 この原発事故は、2011年3月に発生した東日本大震災にともなって起きた福島原発のことです。この事故について、国会の事故調査委員会は2015年7月に、原発事故は想定外の津波にあるとしても、東電が企業者として当然持つべき責任を持たず、責任を役所に転嫁する黒幕のような経営を続けてきた結果生じたと断定しました。

 この断定はまったく正しいと思います。事故後の事故処理で東電の無責任な対応を見ていると、まったくその通りと思えます。しかしこの酷評は平岩にあてはまらないと思います。平岩以降の会長・社長に該当すると思います。

 平岩は原発事故は絶対に起こしてはならないとして、点検・保守・保全の点で手抜きをすることはありませんでした。守成の中に創業ありの精神でやっていました。放射能漏れを起こしたら原発は使えなくなる。平岩の原発に対する態度はこれでした。

 平岩に問われる責任は、想定外を想定していなかった所にあるのです。彼は想定内での安全対策は十分やっています。聞く所によれば、東電内では過去の災害データから、安全対策をもっと強化すべしという提案があったのに、現実性がないなどと言って却下したとのことですが、平岩がそこにいたら、徹底的に審議し、強化したと思います。事故を起こしたら駄目。これが平岩でした。

 しかしこれは想定内での対応です。平岩に想定外の対応がなかったことは明らかです。

 人間は自然に生かされています。想定外の起こることを避けることはできません。

 この想定外が生じた時、どうするか。これを考えるのでないといけないのです。これが平岩にはなかったのです。

 放射能は5万年経ないと無害にならないと言われています。この恐ろしい放射能を原料とするのが原発です。想定外の事態が発生した時にでも、コントロールできるのでないといけません。これができる発電は研究室内での発電か、もしくは研究的発電です。

 平岩の責任(失敗)は生かされるのでなければなりません。

 

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 それゆえ、日本の企業において、世界の企業において、彼らの思想が、導きの糸として君臨していいはずなのですが、全く逆で、新自由主義に席巻され、二人の企業論は過去の遺物のように忘れられています。

 馘首自由の非正規雇用制をつくったり、安い労働力を求めて海外進出に狂奔したり、社会生活に必要な社会制度を破壊したり、建設しなかったりという具合です。市民は泣き、世界は混乱し、非道徳的事件が起こされています。儲けのため、我関せずの風潮。これが新自由主義です。

 しかし、人間は道徳なしには人間として生きていくことはできません。必ず道徳は求められるものです。今は二人の企業哲学と共生の経営論は日陰に追いやられていますが、必ず復権する日が来ます。その日のために、私は、共存・共生の道徳論を持つ盛田昭夫の企業哲学と平岩外四の共生の経営論は大切なものと言っておきます。

 

 最後に、平岩の原発事故にかかわる責任について触れておきます。

 この原発事故は、2011年3月に発生した東日本大震災にともなって起きた福島原発のことです。この事故について、国会の事故調査委員会は2015年7月に、原発事故は想定外の津波にあるとしても、東電が企業者として当然持つべき責任を持たず、責任を役所に転嫁する黒幕のような経営を続けてきた結果生じたと断定しました。

 この断定はまったく正しいと思います。事故後の事故処理で東電の無責任な対応を見ていると、まったくその通りと思えます。しかしこの酷評は平岩にあてはまらないと思います。平岩以降の会長・社長に該当すると思います。

 平岩は原発事故は絶対に起こしてはならないとして、点検・保守・保全の点で手抜きをすることはありませんでした。守成の中に創業ありの精神でやっていました。放射能漏れを起こしたら原発は使えなくなる。平岩の原発に対する態度はこれでした。

 平岩に問われる責任は、想定外を想定していなかった所にあるのです。彼は想定内での安全対策は十分やっています。聞く所によれば、東電内では過去の災害データから、安全対策をもっと強化すべしという提案があったのに、現実性がないなどと言って却下したとのことですが、平岩がそこにいたら、徹底的に審議し、強化したと思います。事故を起こしたら駄目。これが平岩でした。

 しかしこれは想定内での対応です。平岩に想定外の対応がなかったことは明らかです。

 人間は自然に生かされています。想定外の起こることを避けることはできません。

 この想定外が生じた時、どうするか。これを考えるのでないといけないのです。これが平岩にはなかったのです。

 放射能は5万年経ないと無害にならないと言われています。この恐ろしい放射能を原料とするのが原発です。想定外の事態が発生した時にでも、コントロールできるのでないといけません。これができる発電は研究室内での発電か、もしくは研究的発電です。

 平岩の責任(失敗)は生かされるのでなければなりません。