今月から平岩外四の共生の経営論を書くことにします。
しかし平岩がこの共生の経営論に至るまでには多くの道のりを経験しています。この道のりを前史として概観しておきます。
第一に原発の問題があります。この問題は、平岩は東京電力の会長としてあったわけですので、避けては通れません。実際、原発は平岩が導入したようなもので、彼自身多くを語っています。しかし原発問題を取り上げたら、平岩の優れた共生の経営論は語れなくなってしまいます。大問題ですので。平岩の原発論については私の著書、『企業哲学と共生の経営論を説いた盛田昭夫と平岩外四―鈴渓義塾の継承者たちの思想』をお読みください。詳しく論評しておきました。ここでは、最終回に少し触れるに留めます。
平岩の前史を以下の4項目で述べることにします。
①電産労働組合とのたたかいの中で電力を守る。
②補佐に徹して経営論を磨く。
③安岡正篤から東洋学を学ぶ。
④R・チャンドラーの言に共鳴。
①について。
戦後当初の電産労組は、要求を通す手段として送電を切るを武器としていました。いわゆる電産ストです。電気は市民生活と産業活動の大動脈です。平岩は労組幹部とこのことで話し合い、送電ストップを闘争手段にしないことをお願いして、電力事業を正常化しました。企業は社会との一体性の中にあるということを説いたのでした。
②について
平岩は、木川田一隆が社長であった時に秘書として長い間仕えました。その中で、秘書論を補佐論に発展させます。秘書は社長を助ける職ですが、同時に社長が倒れた時、代行できるのでなければなりません。社長を補佐する、この思想を労働者全体が持ったら素晴らしい会社になります。秘書論を補佐論へと発展させ、みんなの会社を目指したのでした。
③について
「安岡先生が東洋の英知について、私の蒙を啓いてくれた」と平岩は言います。人間は矛盾の中に生きており、その中で行動するものである。それゆえ、洞察力を磨き、大局観でものを見るのでないと間違いを犯す。「恕」の心を学んだと言います。人間の願いは幸せになることだと理解できたとも言います。
④について
R・チャンドラーの言は、「タフでなければ生きていけない。しかし優しくなければ生きていく資格がない」です。平岩はこの言に共鳴したと言いますが、この言はまさに哲学の格言に匹敵します。強くなければ生きていけないが、愛情のある思いやりのある強さでなければ意味がないと言うのですから。
これらの前史を見ると、平岩が、盛田の企業哲学に共鳴する素地を持っていたことが分かります。①では社会と一体性にある会社論が、②では労使一体で会社を善くしていこうという思想が、③では恕の心による会社経営論が、④では愛情ある強さこそ必要と説かれています。
この素地から、盛田昭夫との出会いの中で、共生の経営論が開花してくるのです。
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しかし平岩がこの共生の経営論に至るまでには多くの道のりを経験しています。この道のりを前史として概観しておきます。
第一に原発の問題があります。この問題は、平岩は東京電力の会長としてあったわけですので、避けては通れません。実際、原発は平岩が導入したようなもので、彼自身多くを語っています。しかし原発問題を取り上げたら、平岩の優れた共生の経営論は語れなくなってしまいます。大問題ですので。平岩の原発論については私の著書、『企業哲学と共生の経営論を説いた盛田昭夫と平岩外四―鈴渓義塾の継承者たちの思想』をお読みください。詳しく論評しておきました。ここでは、最終回に少し触れるに留めます。
平岩の前史を以下の4項目で述べることにします。
①電産労働組合とのたたかいの中で電力を守る。
②補佐に徹して経営論を磨く。
③安岡正篤から東洋学を学ぶ。
④R・チャンドラーの言に共鳴。
①について。
戦後当初の電産労組は、要求を通す手段として送電を切るを武器としていました。いわゆる電産ストです。電気は市民生活と産業活動の大動脈です。平岩は労組幹部とこのことで話し合い、送電ストップを闘争手段にしないことをお願いして、電力事業を正常化しました。企業は社会との一体性の中にあるということを説いたのでした。
②について
平岩は、木川田一隆が社長であった時に秘書として長い間仕えました。その中で、秘書論を補佐論に発展させます。秘書は社長を助ける職ですが、同時に社長が倒れた時、代行できるのでなければなりません。社長を補佐する、この思想を労働者全体が持ったら素晴らしい会社になります。秘書論を補佐論へと発展させ、みんなの会社を目指したのでした。
③について
「安岡先生が東洋の英知について、私の蒙を啓いてくれた」と平岩は言います。人間は矛盾の中に生きており、その中で行動するものである。それゆえ、洞察力を磨き、大局観でものを見るのでないと間違いを犯す。「恕」の心を学んだと言います。人間の願いは幸せになることだと理解できたとも言います。
④について
R・チャンドラーの言は、「タフでなければ生きていけない。しかし優しくなければ生きていく資格がない」です。平岩はこの言に共鳴したと言いますが、この言はまさに哲学の格言に匹敵します。強くなければ生きていけないが、愛情のある思いやりのある強さでなければ意味がないと言うのですから。
これらの前史を見ると、平岩が、盛田の企業哲学に共鳴する素地を持っていたことが分かります。①では社会と一体性にある会社論が、②では労使一体で会社を善くしていこうという思想が、③では恕の心による会社経営論が、④では愛情ある強さこそ必要と説かれています。
この素地から、盛田昭夫との出会いの中で、共生の経営論が開花してくるのです。