しかし盛田は、この『MADE IN JAPAN』に満足はできなかったと思います。間違った論を述べたからではありません。企業哲学の論述は白眉でした。それに、先には触れなかったが、欧米の企業批判論もよかった。経営陣を経営学出やビジネススクール出だけで固め、技術者を経営陣に加えず、労働者をレイオフの対象にして育てることをしない功利主義思想に陥っているが、これが技術の劣化を生み出しているとの批判。そしてこれを克服して、技術で競争する資本主義をつくっていこうという提案も間違ってはいません。

 しかし批判をするだけだと、逆の反批判を呼び起こすものです。こうなっては技術で競争する理想の資本主義は実現しません。信頼関係は育ちませんので。盛田は思い悩んだと思います。どう批判したらいいのかと。

 盛田は、小鈴谷村を「徳これ香る里」にした高祖父、盛田命祺に教えを乞うたと思います。この『MADE IN JAPAN』の執筆前後に、盛田命祺を顕彰する鈴渓資料館をつくっているからです。南壁に、白山神社にある盛田命祺の銅像のために徳川義親侯(尾張徳川19代当主)が贈った題額「厚徳広恵」の写しを掲げ、北壁に、愛知県令の国貞廉平が贈った扁額「敬業堂」を掲げる鈴渓資料館をつくりました。

 何を学んだのでしょうか。私は盛田命祺から心のあり様を学んだのだと思います。

 「敬業堂」とは技術を大切にし技術革新をしたという意味です。盛田命祺は酒造りを革新して大儲けをしました。盛田昭夫もウォークマン等の革新で大儲けをしました。そして盛田命祺はその儲けを村民とともに生きることに使い、鈴渓義塾をつくり、小鈴谷の村を「徳これ香る里」にしました。盛田昭夫も企業哲学に生き、ソニー労働者たちとともに人間性豊かな共存の企業を築いてきました。今の人は盛田のことを愛情をこめて、「元ソニー会長」と呼びます。

 なのに命祺翁は銅像まで建てられ、末長く顕彰されているのに、自分は「集中豪雨的輸出」と言って非難され、技術で競争するという提案も無視されている。どこが足りないのか。こんな反省から、自分の、反批判する心が急で、相手の心に寄り添って共存する心の欠如に気づかされていきます。命祺翁は鈴渓義塾をつくっただけではありません。道路をつくり修繕もしています。村民に自由に使わせています。翁にとってはどこまでも村民あっての盛田酒造だったのです。村民とともに豊かになろう、これだったのです。

 この目で見ると、欧米による日本に対する集中豪雨的輸出という批判には、共存を求めてのものであることが分かってきます。日本企業の眼に余る競争主義を批判しているのであって、日本の技術の強さの秘密を批判しているのでないことも。

 この反省に則った論文が、文藝春秋1992年2月号掲載の「日本型経営が危ない」です。

 日本企業の手段を選ばない競争主義を自己批判します。

 販売のシェアを獲得するための生産・販売費を無視した価格設定主義、および低価格のために、労使一体の家族主義を悪用した労働者への劣悪な労働条件の強要や協力企業(下請け企業)への無理強い、そして環境破壊無視などの行為を自己批判します。これらの行為は、資本主義の原理を破壊してやまない新自由主義と同じです。これでは労働者や市民は豊かになれません。そして世界も共存できません。

 フェアーな競争と技術革新で市民の生活を豊かなものにしていく。共存において。これが資本主義の理想です。盛田はこの論文で資本主義の理想をこう表明したのでした。

 前回の最高でない云々は、理想の資本主義が示されていないことによります。

 

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 しかし盛田は、この『MADE IN JAPAN』に満足はできなかったと思います。間違った論を述べたからではありません。企業哲学の論述は白眉でした。それに、先には触れなかったが、欧米の企業批判論もよかった。経営陣を経営学出やビジネススクール出だけで固め、技術者を経営陣に加えず、労働者をレイオフの対象にして育てることをしない功利主義思想に陥っているが、これが技術の劣化を生み出しているとの批判。そしてこれを克服して、技術で競争する資本主義をつくっていこうという提案も間違ってはいません。

 しかし批判をするだけだと、逆の反批判を呼び起こすものです。こうなっては技術で競争する理想の資本主義は実現しません。信頼関係は育ちませんので。盛田は思い悩んだと思います。どう批判したらいいのかと。

 盛田は、小鈴谷村を「徳これ香る里」にした高祖父、盛田命祺に教えを乞うたと思います。この『MADE IN JAPAN』の執筆前後に、盛田命祺を顕彰する鈴渓資料館をつくっているからです。南壁に、白山神社にある盛田命祺の銅像のために徳川義親侯(尾張徳川19代当主)が贈った題額「厚徳広恵」の写しを掲げ、北壁に、愛知県令の国貞廉平が贈った扁額「敬業堂」を掲げる鈴渓資料館をつくりました。

 何を学んだのでしょうか。私は盛田命祺から心のあり様を学んだのだと思います。

 「敬業堂」とは技術を大切にし技術革新をしたという意味です。盛田命祺は酒造りを革新して大儲けをしました。盛田昭夫もウォークマン等の革新で大儲けをしました。そして盛田命祺はその儲けを村民とともに生きることに使い、鈴渓義塾をつくり、小鈴谷の村を「徳これ香る里」にしました。盛田昭夫も企業哲学に生き、ソニー労働者たちとともに人間性豊かな共存の企業を築いてきました。今の人は盛田のことを愛情をこめて、「元ソニー会長」と呼びます。

 なのに命祺翁は銅像まで建てられ、末長く顕彰されているのに、自分は「集中豪雨的輸出」と言って非難され、技術で競争するという提案も無視されている。どこが足りないのか。こんな反省から、自分の、反批判する心が急で、相手の心に寄り添って共存する心の欠如に気づかされていきます。命祺翁は鈴渓義塾をつくっただけではありません。道路をつくり修繕もしています。村民に自由に使わせています。翁にとってはどこまでも村民あっての盛田酒造だったのです。村民とともに豊かになろう、これだったのです。

 この目で見ると、欧米による日本に対する集中豪雨的輸出という批判には、共存を求めてのものであることが分かってきます。日本企業の眼に余る競争主義を批判しているのであって、日本の技術の強さの秘密を批判しているのでないことも。

 この反省に則った論文が、文藝春秋1992年2月号掲載の「日本型経営が危ない」です。

 日本企業の手段を選ばない競争主義を自己批判します。

 販売のシェアを獲得するための生産・販売費を無視した価格設定主義、および低価格のために、労使一体の家族主義を悪用した労働者への劣悪な労働条件の強要や協力企業(下請け企業)への無理強い、そして環境破壊無視などの行為を自己批判します。これらの行為は、資本主義の原理を破壊してやまない新自由主義と同じです。これでは労働者や市民は豊かになれません。そして世界も共存できません。

 フェアーな競争と技術革新で市民の生活を豊かなものにしていく。共存において。これが資本主義の理想です。盛田はこの論文で資本主義の理想をこう表明したのでした。

 前回の最高でない云々は、理想の資本主義が示されていないことによります。