■杉本武之プロフィール

1939年 碧南市に生まれる。

京都大学文学部卒業。

翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。

25年間、西尾市の小中学校に勤務。

定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。

〈趣味〉読書と競馬

 

【50】日本文学(その2)

◎良寛の漢詩①

 若い頃から、私は良寛さんが大好きです。人間も好きですが、彼の漢詩、和歌、手紙、書も好きです。良寛さんのことを考えるだけで、私は幸せいぱいになります。

 今から7年前の3月上旬の深夜のことでした。トイレに起きた後、なかなか眠れそうもなく、あれこれ考え事をしていました。ふと、中国の詩人の漢詩を井伏鱒二が自由に訳した文句が浮かんできました。

 「花に嵐の 譬えもあるぞ さよならだけが 人生だ」

 面白いな、私も何かやってみよう。そこで、よく知っている良寛さんの漢詩を七・七調で訳してみることにしました。代表作の「生涯身を立つるに懶く、騰騰として天真に任す」に挑戦しました。2時間ほどで、何とか訳せました。

 すっかり面白くなった私は、次の日から、訳すことに本格的に挑戦しました。そして、1年半後には百篇も出来上がりました。私は、それらを集めて『白い雲 私訳・良寛の漢詩(100篇)』として自費出版しました。なかなか好評でした。

 今から3回に亙って私の訳を紹介します。「私の感想」も付け加えます。

 

(1)「満ち足りた日々」

 私訳「金も名誉も どこ吹く風の/自由気ままな 生涯だった/袋の中には 明日食べる米/薪も一束 ほらここにある/迷いも悟りも ほとほと飽きた/あくせく生きても 何にもならぬ/雨の音など 静かに聴いて/のんびり足を 伸ばして眠ろう」

 訓読「生涯身を立つるに懶く/騰騰として天真に任す/嚢中三升の米/炉辺一束の薪/誰か問わん迷悟の跡/何ぞ知らん名利の塵/ 夜雨草庵の裡/双脚等閑に伸ばす」

 (私の感想)良寛さんは、10年以上も修行していた玉島の円通寺を出てから、しばらく各地を行脚した後、生まれ故郷の越後に戻りました。

 40歳頃から国上山の五合庵に定住して、托鉢だけで最低限の生活をしました。

 この詩は、良寛さんの代表作です。何物にもとらわれることなく、自由に生きた良寛さんの満ち足りた気持ちが実に見事に表現されています。

 

(2)「草庵の暮らし」

 私訳「この草庵での 一人暮らしを/もう何年も 続けています/疲れた時には ゆっくり休み/元気になったら 外出します/褒められようと 嬉しくないし/人の嘲笑 もう慣れました/親から貰った 大事な命/ すなおに生きて 楽しんでいます」

 訓読「我れ此の中に住してより/知らず幾個の時ぞ/困じ来たれば足を延ばして睡り/健やかなればち則ち履を着けて之ゆく/さもあらばあれ世せ人の讃/さもあらばあれ世人の嗤い/父母所生の身/縁に随って須く自ら楽しむ」

 (私の感想)良寛さんは寺の住職として生きる一般的な僧侶と違って、山中の寂しい草庵に住み、托鉢をしながら最後まで修行僧として清貧に生きようと決心しました。そして、人に褒められようと嘲笑されようと少しも気にしないで、ただ縁に従って自由に生きました。生きていく上で経験する様々なこと、善も悪も、幸も不幸も、健康も病気も、全てをあるがままに受け入れました。常に人生の真の意味を考え続け、実に充実した素晴らしい一生を送りました。

(3)「無欲に生きる」

 私訳「金も要らない 名誉も要らない/時々人とは 付き合っていたい/少し食べれば それで満足/ 名声なんか 糞でも食らえ/鉢盂を持って 食を乞えば/人の情けで 米が貰える/寺の近くで 子供に会って/共に楽しく 手まりで遊ぶ/こうした暮らしが わしの好みだ/自然に従い 無欲に生きる」

 訓読「富貴は我が事に非ず/神仙は期すべからず/腹を満たせば志願足る/ 虚名もって何をか為さん/一鉢至る処に携え/ 布嚢また相宜し/時には寺門の傍らに来たり/偶たま児童と期す/生涯何の似たる所ぞ/騰騰として且く時を過ごす」

 (私の感想)良寛さんは、社会的な成功や名声から遠く離れたところで生きました。托鉢してわずかな食べ物を手に入れれば、それ以上何も求めませんでした。乞食の途中で子どもたちに出会えば、そのまま一緒に遊び始めました。良寛さんは子供が好きでした。子どもたちも幸せだったでしょうが、何よりも本人が一番幸福だったのでしょう。

 

(4)「分け与えよ」

 私訳「金持たちは あれこれ買って/それでも足りず もっと欲しがる/貧乏人は 食べ物求めて/必死になって 動き回ってる/なぜ金持は 少しの金を/貧しい人に 与えないのか/人間互いに 憂いを分け合い/助け合って 生きたいものだ」

 訓読「富家の不急の費/日々料るも究まり無し/貧士は口腹の為に/区々として東西に走る/いずくんぞ不急の費を省いて/貧士の喉をうるおさざる/ 彼此互いに憂いを分かたば/生民余裕有らん」

 (私の感想)良寛さんは、富めるものは余った金を、生活の苦しい貧しい人たちに分け与えるべきだと言っているのです。自分の欲を満たすことばかり考え、周囲の本当に困っている貧しい者たちのことを考えない金持たちを痛烈に批判しています。

 良寛さんは、江戸中期の独創的な思想家であった安藤昌益と同じように、「世の中には、上下、尊卑、善悪、是非、正邪などという区別は無い。人間には貴賎の別は無く、みんな同じである。全ての人が平等に働き、平等に食べ、平等に暮らしていくことが大切である」という無差別平等主義を信奉していました。

 良寛さんは、食べる物が余るような時には、必ず、乞食や鳥や獣に分け与えました。余分な物は何一つとして所有しようとはしなかったのです。

 

(5)「雪の夜に作る」

  私訳「この世に生まれ 七十数年/善悪正邪 いやはや飽きた/雪降る道を 行く人も無く/わしは窓辺で 黙して座る」

 訓読「回首する七十有余年/人間の是非看破するに飽く/往来の跡幽かなり深夜の雪/一しゅの線香古窓の下」

 (私の感想)これは良寛さんの遺偈(ゆいげ)です。良寛さんは74歳で死にました。「死ぬ時は死ぬのだ。みんな同じだ。あなたも、私もね。では、さようなら」

 

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【50】日本文学(その2)

◎良寛の漢詩①

 若い頃から、私は良寛さんが大好きです。人間も好きですが、彼の漢詩、和歌、手紙、書も好きです。良寛さんのことを考えるだけで、私は幸せいぱいになります。

 今から7年前の3月上旬の深夜のことでした。トイレに起きた後、なかなか眠れそうもなく、あれこれ考え事をしていました。ふと、中国の詩人の漢詩を井伏鱒二が自由に訳した文句が浮かんできました。

 「花に嵐の 譬えもあるぞ さよならだけが 人生だ」

 面白いな、私も何かやってみよう。そこで、よく知っている良寛さんの漢詩を七・七調で訳してみることにしました。代表作の「生涯身を立つるに懶く、騰騰として天真に任す」に挑戦しました。2時間ほどで、何とか訳せました。

 すっかり面白くなった私は、次の日から、訳すことに本格的に挑戦しました。そして、1年半後には百篇も出来上がりました。私は、それらを集めて『白い雲 私訳・良寛の漢詩(100篇)』として自費出版しました。なかなか好評でした。

 今から3回に亙って私の訳を紹介します。「私の感想」も付け加えます。

 

(1)「満ち足りた日々」

 私訳「金も名誉も どこ吹く風の/自由気ままな 生涯だった/袋の中には 明日食べる米/薪も一束 ほらここにある/迷いも悟りも ほとほと飽きた/あくせく生きても 何にもならぬ/雨の音など 静かに聴いて/のんびり足を 伸ばして眠ろう」

 訓読「生涯身を立つるに懶く/騰騰として天真に任す/嚢中三升の米/炉辺一束の薪/誰か問わん迷悟の跡/何ぞ知らん名利の塵/ 夜雨草庵の裡/双脚等閑に伸ばす」

 (私の感想)良寛さんは、10年以上も修行していた玉島の円通寺を出てから、しばらく各地を行脚した後、生まれ故郷の越後に戻りました。

 40歳頃から国上山の五合庵に定住して、托鉢だけで最低限の生活をしました。

 この詩は、良寛さんの代表作です。何物にもとらわれることなく、自由に生きた良寛さんの満ち足りた気持ちが実に見事に表現されています。

 

(2)「草庵の暮らし」

 私訳「この草庵での 一人暮らしを/もう何年も 続けています/疲れた時には ゆっくり休み/元気になったら 外出します/褒められようと 嬉しくないし/人の嘲笑 もう慣れました/親から貰った 大事な命/ すなおに生きて 楽しんでいます」

 訓読「我れ此の中に住してより/知らず幾個の時ぞ/困じ来たれば足を延ばして睡り/健やかなればち則ち履を着けて之ゆく/さもあらばあれ世せ人の讃/さもあらばあれ世人の嗤い/父母所生の身/縁に随って須く自ら楽しむ」

 (私の感想)良寛さんは寺の住職として生きる一般的な僧侶と違って、山中の寂しい草庵に住み、托鉢をしながら最後まで修行僧として清貧に生きようと決心しました。そして、人に褒められようと嘲笑されようと少しも気にしないで、ただ縁に従って自由に生きました。生きていく上で経験する様々なこと、善も悪も、幸も不幸も、健康も病気も、全てをあるがままに受け入れました。常に人生の真の意味を考え続け、実に充実した素晴らしい一生を送りました。

 

(3)「無欲に生きる」

 私訳「金も要らない 名誉も要らない/時々人とは 付き合っていたい/少し食べれば それで満足/ 名声なんか 糞でも食らえ/鉢盂を持って 食を乞えば/人の情けで 米が貰える/寺の近くで 子供に会って/共に楽しく 手まりで遊ぶ/こうした暮らしが わしの好みだ/自然に従い 無欲に生きる」

 訓読「富貴は我が事に非ず/神仙は期すべからず/腹を満たせば志願足る/ 虚名もって何をか為さん/一鉢至る処に携え/ 布嚢また相宜し/時には寺門の傍らに来たり/偶たま児童と期す/生涯何の似たる所ぞ/騰騰として且く時を過ごす」

 (私の感想)良寛さんは、社会的な成功や名声から遠く離れたところで生きました。托鉢してわずかな食べ物を手に入れれば、それ以上何も求めませんでした。乞食の途中で子どもたちに出会えば、そのまま一緒に遊び始めました。良寛さんは子供が好きでした。子どもたちも幸せだったでしょうが、何よりも本人が一番幸福だったのでしょう。

 

(4)「分け与えよ」

 私訳「金持たちは あれこれ買って/それでも足りず もっと欲しがる/貧乏人は 食べ物求めて/必死になって 動き回ってる/なぜ金持は 少しの金を/貧しい人に 与えないのか/人間互いに 憂いを分け合い/助け合って 生きたいものだ」

 訓読「富家の不急の費/日々料るも究まり無し/貧士は口腹の為に/区々として東西に走る/いずくんぞ不急の費を省いて/貧士の喉をうるおさざる/ 彼此互いに憂いを分かたば/生民余裕有らん」

 (私の感想)良寛さんは、富めるものは余った金を、生活の苦しい貧しい人たちに分け与えるべきだと言っているのです。自分の欲を満たすことばかり考え、周囲の本当に困っている貧しい者たちのことを考えない金持たちを痛烈に批判しています。

 良寛さんは、江戸中期の独創的な思想家であった安藤昌益と同じように、「世の中には、上下、尊卑、善悪、是非、正邪などという区別は無い。人間には貴賎の別は無く、みんな同じである。全ての人が平等に働き、平等に食べ、平等に暮らしていくことが大切である」という無差別平等主義を信奉していました。

 良寛さんは、食べる物が余るような時には、必ず、乞食や鳥や獣に分け与えました。余分な物は何一つとして所有しようとはしなかったのです。

 

(5)「雪の夜に作る」

 私訳「この世に生まれ 七十数年/善悪正邪 いやはや飽きた/雪降る道を 行く人も無く/わしは窓辺で 黙して座る」

 訓読「回首する七十有余年/人間の是非看破するに飽く/往来の跡幽かなり深夜の雪/一しゅの線香古窓の下」

 (私の感想)これは良寛さんの遺偈(ゆいげ)です。良寛さんは74歳で死にました。「死ぬ時は死ぬのだ。みんな同じだ。あなたも、私もね。では、さようなら」