姪の就職2

―梅原猛の『地獄の思想』(集英社)

 釈迦が言うには、人生とは「苦」である。なぜ、「苦」になるかというと、「欲」があるからである。「欲」をなくせば、「苦」がなくなる。しかし、人間はなかなか「欲」を消せない。これを煩悩という。「欲」があるところ「苦」があり、そこには必ず「地獄」がある。「欲」をなくせば、さとりがひらけるというが、それは頭で理解できても現実にはできない。そうであるなら逆に自ら「地獄」に向かって進んだ方が、「欲」が実現できるというものだろうかと、柳原は勝手な思い込みに慕っている。

 片桐という男は意識して地獄を目指しているのではないのか。そんな風にも思える。人はどうしても上を向く。上を向いて生きているから、下を見てしまって下へ落ちるのが怖くなる。一度、上へあがると下を見るのが怖くなるから勇気が湧かない。勇気が湧かないから知恵もでない。どうすればいいのか。そんな時は無理にも下を向くのである。地獄に落ちてもいいと開き直って進むのである。地獄が見えてくると、それ以上悪くはならない。だからどんどんうまくいく。

 平社員が課長になる。あるいは課長が部長になる。平取締役から常務、最後は社長になる。いつまでも上昇志向が続く。中には課長になったとたん、人間が変わるのがいる。下を見るからだ。課長の椅子にしがみつこうとすればするほど知恵は出ない。失敗を恐れているからだ。そんな課長を下の人間から見れば全く魅力がない。課長は自分が見えなくなる。社長だって同じである。いつまでも社長の座にしがみつこうとすれすればするほど、下から見ると魅力が薄れるから不思議だ。

 あの十三年前の事件を思い出すとき、片桐は地獄志願の思いが心のどこかにあったように見えるのだが…。

 るり子が部屋に入ってきて、テーブルの上のお茶を入れ替えた。

「コロナウイルスの解決には時間がかかるようですね」

「そうだな。レストランを続けていたら、いまごろ大変だったな」

「店はどうなったか、わかりませんね」

「チェーン店の仲間に聞くと、テイクアウトなどで補っているが、以前のような売り上げは期待できないようだね」

「そうですか。それにしても県別にみていますと、かなり差がありますね。岩手県なんかは感染者がゼロなのですね。すごいですね」

「県内の管理もしっかりしているのだろうが、岩手県民はきざみ海苔の消費量が全国一だからだという人もいる」

「どういうことですの」

「海苔にはミネラルなど多く含まれ、免疫が上がるというのだが…」

「そうですか。そういうことは考えられますね」

「うちでももっと、海苔を食べようか」

「もう手遅れでは…」

「そうかもしれないが、一種の慰めかもよ」

「はい、はい…」

 るり子は台所の戸棚に買い置きの焼き海苔がないか、探し始めた。缶の中に数袋残っていることを確認して、ホッとした風であった。

「ありましたよ」

書斎に戻って真三に報告した。

「よかったな。また買っておこうか」

「はい」

「緊急事態が関西は解除、首都圏も近いだろう」

「そうですね」

「問題は解除後が問題だろう。第二波では政府も失敗を許されないと思うよ」

「はやく安心したいですね」

「そうだな」

―真三はまた小説に戻った。

 「甥の君を地獄にやるようなことはしたくないのだが、危機存亡の秋、当行を救えるのは、君しかいないのだ。わかってくれ、片桐君…」

「……」

「息子の政秀は副社長だが、君よりずっと若いし、うまくやれるかどうか、わからない。それにここの後継者としての大役もある」

 N相互銀行の社長室で、椅子の背に心持ちもたれるようにしながら、社長の藤田万吉は直立不動の常務の片桐に命じるというより哀願している。しばらく沈黙が続く。片桐は首筋に汗をかいているのが、わかるほどだった。

 都会の中心にあるこの社長室は防音壁で囲まれているので、静寂そのものである。藤田万吉の息づかいまで伝わってくる。片桐は京都に本店を置くN相互銀行の子会社である山城相互銀行を再建することで相談を受けている。N相互銀行のどの他の役員もしり込みしていることを片桐は知っていた。

 片桐と入れ替わりに社長室から出てくる山城相銀の森山淳社長の苦虫をかみつぶしたような顔を見ると、尻込みしたくなるのも無理はない。それほど難題であることがわかるからだ。となれば、片桐のところにお鉢が回ってくる予感があった。

 甥といっても、サラリーマン重役である。拒否することは辞めることを意味する。そこまできっちり決まったものでないにしても、片桐はそう受け止める性格であった。片桐は十中八九割は不成功に終わるだろうが、相談があれば引き受けようと漠然と心に決めていた。

 なぜなら第一に、山城相銀が倒産すれば、その火の粉が親会社のN相互銀行に飛んでくる。そうなるとN相互銀行は倒産しないまでも藤田万吉は辞任に追い込まれ、大半の役員も大蔵省(現財務省)のOBや救済する他の銀行マンと交替させられる。行くも地獄なら残るも地獄である。同じ地獄なら自分の意思が働く方が片桐には似合っていいと思っている。

 第二には、N相互銀行では世襲制になっており、片桐はまず絶対に社長にはなれない。しかし、ボロ会社とはいえ山城相互銀行では社長になれる。そうなれば自分の意思で経営できるならやりがいがあると考える。第三に、片桐家では主人に忠義を尽くすことを家訓として大切にしていた。片桐のいまの主人は藤田万吉である。片桐家はもともと林業が本業だが、片桐が仕える藤田万吉に傷つくようなことは身を挺してでも避けなければなるまい。片桐の代になると、その家訓も風化しているように思えたが、気持ちのどこかに、やはり引っかかるものがある。

 関西には同族企業が多く、そこには大なり小なり片桐家と同じような教えがある。非近代的で泥臭い企業体質のように思えるが、そこは東京の企業にはあまり見られない関西企業の強さでもある。

ただ、いつの世も見返りのない忠義はない。忠義と報償は金貨の表と裏の関係である。金貨の表、つまり忠誠心だけを求めようとする経営者にその資格がない。片桐にとって忠義の報償は山城相銀という所領を得て君臨できることにあった。少なくとも本人はそう思っている。

(自分の意思を通す早道は、みんなが避けたいと思っていることを買ってでもやることだ。そういう機会はあるようで、なかなかない(人生に一回ぐらいそういう勝負をかけることが大切なんだ)と、藤田万吉はそう考えていた。

 N相銀の社長室は最上階の十二階にある。藤田万吉は周囲のビルより、自分の銀行ビルを少しだけ高く建てていた。(少し高いだけで視野も広がるし野望も高まる)と、思ったからだ。それに上から見下ろすと実に気分がいい。下から見上げると、卑屈になるような気がする。チャップリンの映画『独裁者』で背の低い主人公は部屋のデスクの前の椅子は自分の座る椅子より低くすることによって自分の力を見せていたが、それと同じ心理である。

 万吉は椅子から立ち上がり、大阪本社の社長室の東側の窓際から眼下を流れる川を見つめている。琵琶湖から京都を経て流れる淀川は、大阪の都島区の毛馬排水機塲で大川という分流をつくっている。大川が都心に進んでいくと、大阪の心臓部といわれる中之島で堂島川と土佐堀川に分かれる。万吉は土佐堀川を社長室から眺めていた。

「山城相銀・怨」と白で染め抜いた真っ赤な旗をたなびかせた小舟が次からつぎへと流れつく幻想が迫り時折、目がくらむ。遠くには生駒山が見える。山頂に黒いテレビ塔が林立する。

「社長、お引き受けいたしましょう」

 片桐は窓の外を見やる藤田社長に近づいて、低い声だがキッパリと承諾の意思を伝えた。その瞬間、藤田は片桐の方を振り向き両手を差し出し握手を求めた。(そうか、やっぱりこの男は引き受けてくれると思った。必ず再建してくれるだろう)と、藤田は片桐の手の温もりを感じながら確信していた。

「困ったときは、いつでも相談にのるから、よろしく頼んだぞ」(きっと再建してみせます)と言おうとしたが、片桐はその言葉を飲み込んだ。

 社内で(片桐はバカなヤツだ)と、すぐに噂は広がった。N相互銀にいたら業務部長としての実績もあり定年まで安泰なのに、自から敗者になり恐らく晩節を全うできない。片桐、五十三歳の時の決断である。

(七十歳定年だからN相互銀で普通にやっていれば、専務、副社長にも昇進するかもしれない。しかし、敗者の道と言われようとも悔いはないのだ)と片桐は自分に言い聞かせる。

 黒のベンツは国道309号線を走る。富田林市を抜け千早赤阪村に向かっている。千早赤阪村は大阪府下に残る唯一の村だ。南北朝の争乱で楠木正成が立てこもった赤阪城、千早城跡があることでも有名だ。楠木正成の生誕地である。クルマは千早川に沿って走り、千早赤阪村の森屋交差点から府道富田林五条線が金剛山に向かって延びる。ベンツは千早赤阪農協の千早支所で左折、多聞橋を越えて山道に入る。しばらくのぼると平坦地になり、すると間もなく大きな茅葺屋根の邸宅が見えてくる。片桐の家である。敷地面積500坪というから、まさに楠木正成にとっての赤阪城と同様、ここは片桐城なのだ。

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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姪の就職2

 ―梅原猛の『地獄の思想』(集英社)

 釈迦が言うには、人生とは「苦」である。なぜ、「苦」になるかというと、「欲」があるからである。「欲」をなくせば、「苦」がなくなる。しかし、人間はなかなか「欲」を消せない。これを煩悩という。「欲」があるところ「苦」があり、そこには必ず「地獄」がある。「欲」をなくせば、さとりがひらけるというが、それは頭で理解できても現実にはできない。そうであるなら逆に自ら「地獄」に向かって進んだ方が、「欲」が実現できるというものだろうかと、柳原は勝手な思い込みに慕っている。

 片桐という男は意識して地獄を目指しているのではないのか。そんな風にも思える。人はどうしても上を向く。上を向いて生きているから、下を見てしまって下へ落ちるのが怖くなる。一度、上へあがると下を見るのが怖くなるから勇気が湧かない。勇気が湧かないから知恵もでない。どうすればいいのか。そんな時は無理にも下を向くのである。地獄に落ちてもいいと開き直って進むのである。地獄が見えてくると、それ以上悪くはならない。だからどんどんうまくいく。

 平社員が課長になる。あるいは課長が部長になる。平取締役から常務、最後は社長になる。いつまでも上昇志向が続く。中には課長になったとたん、人間が変わるのがいる。下を見るからだ。課長の椅子にしがみつこうとすればするほど知恵は出ない。失敗を恐れているからだ。そんな課長を下の人間から見れば全く魅力がない。課長は自分が見えなくなる。社長だって同じである。いつまでも社長の座にしがみつこうとすれすればするほど、下から見ると魅力が薄れるから不思議だ。

 あの十三年前の事件を思い出すとき、片桐は地獄志願の思いが心のどこかにあったように見えるのだが…。

 るり子が部屋に入ってきて、テーブルの上のお茶を入れ替えた。

「コロナウイルスの解決には時間がかかるようですね」

「そうだな。レストランを続けていたら、いまごろ大変だったな」

「店はどうなったか、わかりませんね」

「チェーン店の仲間に聞くと、テイクアウトなどで補っているが、以前のような売り上げは期待できないようだね」

「そうですか。それにしても県別にみていますと、かなり差がありますね。岩手県なんかは感染者がゼロなのですね。すごいですね」

「県内の管理もしっかりしているのだろうが、岩手県民はきざみ海苔の消費量が全国一だからだという人もいる」

「どういうことですの」

「海苔にはミネラルなど多く含まれ、免疫が上がるというのだが…」

「そうですか。そういうことは考えられますね」

「うちでももっと、海苔を食べようか」

「もう手遅れでは…」

「そうかもしれないが、一種の慰めかもよ」

「はい、はい…」

 るり子は台所の戸棚に買い置きの焼き海苔がないか、探し始めた。缶の中に数袋残っていることを確認して、ホッとした風であった。

「ありましたよ」

書斎に戻って真三に報告した。

「よかったな。また買っておこうか」

「はい」

「緊急事態が関西は解除、首都圏も近いだろう」

「そうですね」

「問題は解除後が問題だろう。第二波では政府も失敗を許されないと思うよ」

「はやく安心したいですね」

「そうだな」

―真三はまた小説に戻った。

 「甥の君を地獄にやるようなことはしたくないのだが、危機存亡の秋、当行を救えるのは、君しかいないのだ。わかってくれ、片桐君…」

「……」

「息子の政秀は副社長だが、君よりずっと若いし、うまくやれるかどうか、わからない。それにここの後継者としての大役もある」

 N相互銀行の社長室で、椅子の背に心持ちもたれるようにしながら、社長の藤田万吉は直立不動の常務の片桐に命じるというより哀願している。しばらく沈黙が続く。片桐は首筋に汗をかいているのが、わかるほどだった。

 都会の中心にあるこの社長室は防音壁で囲まれているので、静寂そのものである。藤田万吉の息づかいまで伝わってくる。片桐は京都に本店を置くN相互銀行の子会社である山城相互銀行を再建することで相談を受けている。N相互銀行のどの他の役員もしり込みしていることを片桐は知っていた。

 片桐と入れ替わりに社長室から出てくる山城相銀の森山淳社長の苦虫をかみつぶしたような顔を見ると、尻込みしたくなるのも無理はない。それほど難題であることがわかるからだ。となれば、片桐のところにお鉢が回ってくる予感があった。

 甥といっても、サラリーマン重役である。拒否することは辞めることを意味する。そこまできっちり決まったものでないにしても、片桐はそう受け止める性格であった。片桐は十中八九割は不成功に終わるだろうが、相談があれば引き受けようと漠然と心に決めていた。

 なぜなら第一に、山城相銀が倒産すれば、その火の粉が親会社のN相互銀行に飛んでくる。そうなるとN相互銀行は倒産しないまでも藤田万吉は辞任に追い込まれ、大半の役員も大蔵省(現財務省)のOBや救済する他の銀行マンと交替させられる。行くも地獄なら残るも地獄である。同じ地獄なら自分の意思が働く方が片桐には似合っていいと思っている。

 第二には、N相互銀行では世襲制になっており、片桐はまず絶対に社長にはなれない。しかし、ボロ会社とはいえ山城相互銀行では社長になれる。そうなれば自分の意思で経営できるならやりがいがあると考える。第三に、片桐家では主人に忠義を尽くすことを家訓として大切にしていた。片桐のいまの主人は藤田万吉である。片桐家はもともと林業が本業だが、片桐が仕える藤田万吉に傷つくようなことは身を挺してでも避けなければなるまい。片桐の代になると、その家訓も風化しているように思えたが、気持ちのどこかに、やはり引っかかるものがある。

 関西には同族企業が多く、そこには大なり小なり片桐家と同じような教えがある。非近代的で泥臭い企業体質のように思えるが、そこは東京の企業にはあまり見られない関西企業の強さでもある。

ただ、いつの世も見返りのない忠義はない。忠義と報償は金貨の表と裏の関係である。金貨の表、つまり忠誠心だけを求めようとする経営者にその資格がない。片桐にとって忠義の報償は山城相銀という所領を得て君臨できることにあった。少なくとも本人はそう思っている。

(自分の意思を通す早道は、みんなが避けたいと思っていることを買ってでもやることだ。そういう機会はあるようで、なかなかない(人生に一回ぐらいそういう勝負をかけることが大切なんだ)と、藤田万吉はそう考えていた。

 N相銀の社長室は最上階の十二階にある。藤田万吉は周囲のビルより、自分の銀行ビルを少しだけ高く建てていた。(少し高いだけで視野も広がるし野望も高まる)と、思ったからだ。それに上から見下ろすと実に気分がいい。下から見上げると、卑屈になるような気がする。チャップリンの映画『独裁者』で背の低い主人公は部屋のデスクの前の椅子は自分の座る椅子より低くすることによって自分の力を見せていたが、それと同じ心理である。

 万吉は椅子から立ち上がり、大阪本社の社長室の東側の窓際から眼下を流れる川を見つめている。琵琶湖から京都を経て流れる淀川は、大阪の都島区の毛馬排水機塲で大川という分流をつくっている。大川が都心に進んでいくと、大阪の心臓部といわれる中之島で堂島川と土佐堀川に分かれる。万吉は土佐堀川を社長室から眺めていた。

「山城相銀・怨」と白で染め抜いた真っ赤な旗をたなびかせた小舟が次からつぎへと流れつく幻想が迫り時折、目がくらむ。遠くには生駒山が見える。山頂に黒いテレビ塔が林立する。

「社長、お引き受けいたしましょう」

 片桐は窓の外を見やる藤田社長に近づいて、低い声だがキッパリと承諾の意思を伝えた。その瞬間、藤田は片桐の方を振り向き両手を差し出し握手を求めた。(そうか、やっぱりこの男は引き受けてくれると思った。必ず再建してくれるだろう)と、藤田は片桐の手の温もりを感じながら確信していた。

「困ったときは、いつでも相談にのるから、よろしく頼んだぞ」(きっと再建してみせます)と言おうとしたが、片桐はその言葉を飲み込んだ。

 社内で(片桐はバカなヤツだ)と、すぐに噂は広がった。N相互銀にいたら業務部長としての実績もあり定年まで安泰なのに、自から敗者になり恐らく晩節を全うできない。片桐、五十三歳の時の決断である。

(七十歳定年だからN相互銀で普通にやっていれば、専務、副社長にも昇進するかもしれない。しかし、敗者の道と言われようとも悔いはないのだ)と片桐は自分に言い聞かせる。

 黒のベンツは国道309号線を走る。富田林市を抜け千早赤阪村に向かっている。千早赤阪村は大阪府下に残る唯一の村だ。南北朝の争乱で楠木正成が立てこもった赤阪城、千早城跡があることでも有名だ。楠木正成の生誕地である。クルマは千早川に沿って走り、千早赤阪村の森屋交差点から府道富田林五条線が金剛山に向かって延びる。ベンツは千早赤阪農協の千早支所で左折、多聞橋を越えて山道に入る。しばらくのぼると平坦地になり、すると間もなく大きな茅葺屋根の邸宅が見えてくる。片桐の家である。敷地面積500坪というから、まさに楠木正成にとっての赤阪城と同様、ここは片桐城なのだ。