久野庄太郎(1900~1997)の思想を紹介します。

 私は、久野庄太郎を知多半島随一の哲学者と思っています。

 しかし、「知多半島随一の哲学者」というと、何でと思われるかもしれません。久野庄太郎と言えば、農民として愛知用水をつくり、愛知海道づくり(土地改良)をすすめ、不老会を創設した人ですので、だれもが立派な人と認めますが、それを哲学者といったら、何でと思われるのは不思議でないからです。しかし彼は立派な哲学者なのです。否、大哲学者といっていい人なのです。

 私はこれから3回にわたって、この久野庄太郎の哲学物語を書こうと思います。

 そうであれば、最初に、哲学とはこういう学問だということを述べて、その後で、久野はこう生きたから哲学者なのだというように述べるのがよいようですが、私は逆走しようと思います。久野の足跡を訪ねた上で、この行為こそが哲学者の行為で、この思想は是非受け継いでいきたい、こんな風に書きたいと思っています。

 久野は愛知用水をつくり、愛知海道づくり(土地改良)をすすめ、不老会を創設した人です。そしてもう1 つ述べておきたいことがあります。これらの活動を通して彼が残した平和思想です。この平和思想は今も圧巻です。

 愛知用水運動は戦後の食料危機と日照りの天災の中で起こされました。同志浜島辰雄とともに。水不足を克服するには木曽川から水を引く以外にない。「あてがい扶持」として国がやってくれるのを待つのでなく、自分たちの必要な物は自分たちの努力で実現し、みんなで幸せになろうということで愛知用水運動を起こしたのでした。

 私が久野を哲学者として評価するのは、「みんなで幸せになろう」ということで愛知用水運動を起こした点です。個人の問題でいえば、久野はそんなに水不足に悩んでいたのではありません。働き者の両親の元に生まれ、本人も働き者でしたので良田を持ち、水が欲しいなら、深井戸を掘ったり、溜池を造ったり、谷水を汲んだり、山裾にマンボを掘ったりすれば、ほとんど解決できたからです。

 しかしこれでは周りの農民の水不足は解消されません。泣く人ばかり。自分だけ幸せになるだけでなく、みんなで幸せになるのでなければ。こんな気持ちから愛知用水運動を起こしたのでした。農民に訴え、農民の心を動かし、国を動かして完成させたのでした。

 この「みんなで幸せになろう」の思想は、愛知海道づくり(土地改良)運動にも、不老会運動にも、そして平和思想にも受け継がれ発展させられていきます。

 愛知海道づくりについて。愛知用水が完成して通水しても、田園や畑が昔のままでは愛知用水を利用することはできません。農地の改良が必要です。久野は土地所有者を指導して土地改良運動に乗り出します。これが愛知海道づくりです。

 愛知海道づくりといえば、第二名神とか湾岸道路といわれる高速道路の建設のように思われがちですが、それを含む形での農地改良運動を久野はこう呼んだのです。もちろんこの高速道路についても、農産物の高速輸送と農地拡大を可能とするのでなければならないという形で必要を堤起しますが、中心は農地の改良でした。

 土地所有者が工区(組合)をつくり、農地を改良していこうという運動です。みんなで幸せになるための上地改良です。だから、「すべての土地を道つきにして袋地をつくらないようにしよう。減歩方式にして土地改良費を捻出にしよう」と呼びかけます。

 

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 私は、久野庄太郎を知多半島随一の哲学者と思っています。

 しかし、「知多半島随一の哲学者」というと、何でと思われるかもしれません。久野庄太郎と言えば、農民として愛知用水をつくり、愛知海道づくり(土地改良)をすすめ、不老会を創設した人ですので、だれもが立派な人と認めますが、それを哲学者といったら、何でと思われるのは不思議でないからです。しかし彼は立派な哲学者なのです。否、大哲学者といっていい人なのです。

 私はこれから3回にわたって、この久野庄太郎の哲学物語を書こうと思います。

 そうであれば、最初に、哲学とはこういう学問だということを述べて、その後で、久野はこう生きたから哲学者なのだというように述べるのがよいようですが、私は逆走しようと思います。久野の足跡を訪ねた上で、この行為こそが哲学者の行為で、この思想は是非受け継いでいきたい、こんな風に書きたいと思っています。

 久野は愛知用水をつくり、愛知海道づくり(土地改良)をすすめ、不老会を創設した人です。そしてもう1 つ述べておきたいことがあります。これらの活動を通して彼が残した平和思想です。この平和思想は今も圧巻です。

 愛知用水運動は戦後の食料危機と日照りの天災の中で起こされました。同志浜島辰雄とともに。水不足を克服するには木曽川から水を引く以外にない。「あてがい扶持」として国がやってくれるのを待つのでなく、自分たちの必要な物は自分たちの努力で実現し、みんなで幸せになろうということで愛知用水運動を起こしたのでした。

 私が久野を哲学者として評価するのは、「みんなで幸せになろう」ということで愛知用水運動を起こした点です。個人の問題でいえば、久野はそんなに水不足に悩んでいたのではありません。働き者の両親の元に生まれ、本人も働き者でしたので良田を持ち、水が欲しいなら、深井戸を掘ったり、溜池を造ったり、谷水を汲んだり、山裾にマンボを掘ったりすれば、ほとんど解決できたからです。

 しかしこれでは周りの農民の水不足は解消されません。泣く人ばかり。自分だけ幸せになるだけでなく、みんなで幸せになるのでなければ。こんな気持ちから愛知用水運動を起こしたのでした。農民に訴え、農民の心を動かし、国を動かして完成させたのでした。

 この「みんなで幸せになろう」の思想は、愛知海道づくり(土地改良)運動にも、不老会運動にも、そして平和思想にも受け継がれ発展させられていきます。

 愛知海道づくりについて。愛知用水が完成して通水しても、田園や畑が昔のままでは愛知用水を利用することはできません。農地の改良が必要です。久野は土地所有者を指導して土地改良運動に乗り出します。これが愛知海道づくりです。

 愛知海道づくりといえば、第二名神とか湾岸道路といわれる高速道路の建設のように思われがちですが、それを含む形での農地改良運動を久野はこう呼んだのです。もちろんこの高速道路についても、農産物の高速輸送と農地拡大を可能とするのでなければならないという形で必要を堤起しますが、中心は農地の改良でした。

 土地所有者が工区(組合)をつくり、農地を改良していこうという運動です。みんなで幸せになるための上地改良です。だから、「すべての土地を道つきにして袋地をつくらないようにしよう。減歩方式にして土地改良費を捻出にしよう」と呼びかけます。