姪の就職2

 次からつぎへマイクを握る老若男女。とくにお祝いの歌でもない。それぞれがお得意の歌を歌っている。グループ以外の人は聞いていない。しかしみんな喜んでいる風に見える。宴が盛り上がってきた。

「おーい、四時に集合だ」

「わかった」

 隣保の人たちは、一度、引き出物を持って自宅に帰り、再び、二次会の会場になっているN君の実家にやってくる。

「熊本は阿蘇山をはじめすべて大きい。例えば荒尾梨、ぶどうの巨峰、八代の晩白柚(ばんぺいゆ)という具合にです」

「そうですたい」

 酒の酔いの勢いに任せて、「ところで男の持ち物もやはり大きいでっか?」と聞いてみた。すると新郎の父親は顔を赤めながらも胸を張った。

「もちろんですたい」

「やはりそうですか」

「いやね、熊本空港の近くにある弓削神社を知っていますか」

「いや、知りません…が、あれですか」

「ご神体が巨大な男根なんです。あれを見ると熊本の男衆はすごいと秘かに敬意を払っていたのです」

「もともと夫婦円満、子孫繁栄の神社ですが、地元にいても知らない人も多いですよ」

「最近では浮気封じの神社に変身していると聞きますが…」

「そうです。男根や女の性器にクギを打ち付けて奉納している」

「そうですか。神社も時代とともに変わるんですね」

「まあ、そういうことですかね」

 このまま長居していては失礼になると、真三夫婦はお礼を言って退散した。

 人吉の公園で物思いにふけっていたが、るり子が「もう帰りましょう」と声をかけたので、真三は我に返って東屋の椅子から離れた。

 結局、人吉では全行程四・五kmを徒歩で歩き、帰りはヤマセミで帰った。

 帰りの道中、三十年前の真三自身の結婚式を振り返った。その頃は大阪にいた。結納金と称して十万円を喫茶店で渡した。それを九十六歳まで生きたるり子の母親が何一つ文句を言わずに自宅の神棚に祀って飾ったと聞いたとき、涙がこぼれそうになった。

 「いまどき、こんな優しいひとがいるのか」と胸が熱くなった。当時でも一般のサラリーマン家庭で結納金は百~三百万と言われていた。「まさか、るり子が母親に渡すと思っていなかったので、穴があったら入りたかった」と後悔した。

 結婚式は近くの神社でウエディングドレスを着て、カメラマンは親父であった。式を終えたら、タクシーに分乗して大阪市内のステンドグラスで飾られた大正ロマン風の喫茶店を借り切って家族、一部の親友、会社の上司、媒酌人夫妻の総勢三十名程度の小宴で済ませた。それでもなにか趣向をこらそうと、弟が宴会中は「おてもやん」と「河内音頭」のLPを流して盛り上げた記憶が残っている。

 地方熊本と都会の大阪の組み合わせペアーに、人生の途中、ささいな波風は立ったが、いまは子どもも独立、東京へ去った。真三の両親も逝った。ただ熊本の女房の母親は九十三歳(九十六歳で死去)になるが、一人で暮らしている。

「胸が痛む」

 女房はできるだけ実家に戻る機会を増やしているが、なにぶんにも遠すぎる。

 田舎では長男が面倒をみる習わしが、都会よりも強い。女房の実家もそういうだんどりでいたが、おばあちゃんは熊本市内の長男夫婦の家から抜け出し荒尾の自宅に戻った。家の周囲はみかんや、梅、梨畑の小高い丘である。夜は森閑としている。時折、夜陰に紛れて犬の遠吠えが聞こえるぐらい。寂しさを心の底へしまいこんでいる風に見える。毎日、近所のタロウと名付けられた雑種犬がおばあちゃんに会いにくる。おばあちゃんは亡くなったおじいちゃんに会っているようだとかわいがった。

 老後の問題は熊本でも大阪でも同じだ。真三のお袋も夫が逝ったあと、誰とも同居しないと宣言して倒れるまで一人で踏ん張った。その姿はこれからのわが身を見る思いで真三は苦悩するのだった。

 一人息子が結婚した。相手の女性は福岡・小倉の出身で、東京で知り合った。二人には関西とか、九州だからという意識はない。息子の半分は九州の血脈だからかもしれない。

「そんなこと考えたことないよ」

 問うたことはないが、そんな返答があるような予感がする。

 真三は熊本との差異があったとしても人生の終わりまで「マグマおごじょが爆発しないことを願いたい」と念じた。

 この年齢になると、二泊三日の旅でも疲れが出る。

それでも次の旅を夢見て帰路に着いた。

 ―後日、N君のお父さんからいただいたはがきに

「善さんにも最後まで田舎の披露宴を楽しんでいただきたかった」とあった。

 本来の地域社会を見た気がしてうれしくなった。

 またルーティンな変化のない生活が始まった。時折、近くの河原まで散歩するだけで、家ではテレビを見たり、CDで好きな音楽を聴きながら暇つぶししているだけである。写真撮影もめっきり出かける回数が減った。

 そんな暇をもて遊んでいるところに前島が「久しぶりにかっぱに行きませんか」という誘いの電話が入った。

「先週、九州から帰りました」

「そうですか。お疲れでしょうね」

「いや、来週ならいいですよ」

「ではママに予約を入れておきます」

「よろしくお願いします。」

 るり子が「誰からの電話だったの?」と、台所から声をかけた。

「前島さんからだよ。来週、かっぱで飲み会をすることにした」

「そうですか。疲れていないのですか」

「来週には回復するよ」

 真三はこれから先、そう何回もかっぱに行けないだろうから、今回はゆっくり話したいと願っている。

 るり子は「前の引っ越しで持ちものを相当片づけましたが、真三さんの若い時からの本や書き物が残っていますよ」と、思い切った断捨離を断行する気でいる。

「そうだな。息子に引き継ぐものもないから捨ててもいいだろうな」

「これ、学生時代に書かれた小説ではないのですか?」

「そうだな。俺も親父のように物書きになろうと思ったことがあった。理系出身で文学の素養がないので、あきらめたが、それでもこれだけは記録に残したいと思って書き残したのだ」

 それは京都で出会ったある男の半生に基づくものであった。真三は籐椅子にかけながらその昔、書き残したほこりをかぶった原稿を読み始めた。

 ―『地獄志願の男』というテーマであった。

 我が身につまされる歌舞伎の千代の萩の政岡役―

 新聞記者の柳原慎はだんだんと思案顔に変わる。

「あの男は、きっと殺やられる」

 柳原は舞台で女形を演じるその男を見つめながら呟いていた。(京都という土地には、他人には見えない網、インビジブル・ネットワークが張られているようだ。観光で訪れるとか、ただ通過するだけの人には気が付きにくいのだが…。)

 柳原は南座の二階のマス席に座って、先ほどから落ち着かない様子である。舞台で演じている男から招待されていた。十二月二六日は恒例の京都素人顔見世である。年の瀬ともなると、日本中どこもあわただしくなる。ところが、京の町だけはちょっと違う。あわただしさの中にも心の余裕のようなものが感じられる。南座で十二月の歌舞伎興行を顔見世と名付けている。戦争中も途切れず、八〇年(当時)を超える歴史をもつ。京の人は南座の正面に白木に役者の名前を書いた「まねき」看板が掲げられると、ウキウキしてくるという。京の人の顔見世に対する思い入れは相当なものである。この日のために和服を新調する婦人連も結構多いという。彼女らの顔見世ではないのかと、祇園のクラブのママから、そんな話を聞いた柳原はおかしくなった。

 顔見世は二五日が最終日である。一月の東京興行に間に合うよう大道具、鬘、衣裳を急いで荷造りしてトラック便で送る。それを一日だけ遅らせてもらって、京の人自身が道具一式借り受け、演じるのが素人顔見世だ。こちらの方の席料も本物の顔見世に劣らないほど高い。柳原のいる定員六人のマス席が四万八千円もした。シブチンと言われる京都人も祭りとか歌舞伎にはカネを惜しまない。東京や大阪からやってくる企業の支店長は、はじめのうち、その寄付の多いことに驚くのである。

 舞台は『伽蘿先代萩』(めいぼく せんだいはぎ)は、伊達騒動を題材とした人形浄瑠璃および歌舞伎の演目。その一幕であった・御殿・床下の場である。柳原は歌舞伎を観るのは、これが初めて。地元紙の社会部記者で途中入社組である。素人歌舞伎は柳原のいる新聞社が主催していたが、これまで興味もなかったし、仕事で観る機会もなかった。

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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 次からつぎへマイクを握る老若男女。とくにお祝いの歌でもない。それぞれがお得意の歌を歌っている。グループ以外の人は聞いていない。しかしみんな喜んでいる風に見える。宴が盛り上がってきた。

「おーい、四時に集合だ」

「わかった」

 隣保の人たちは、一度、引き出物を持って自宅に帰り、再び、二次会の会場になっているN君の実家にやってくる。

「熊本は阿蘇山をはじめすべて大きい。例えば荒尾梨、ぶどうの巨峰、八代の晩白柚(ばんぺいゆ)という具合にです」

「そうですたい」

 酒の酔いの勢いに任せて、「ところで男の持ち物もやはり大きいでっか?」と聞いてみた。すると新郎の父親は顔を赤めながらも胸を張った。

「もちろんですたい」

「やはりそうですか」

「いやね、熊本空港の近くにある弓削神社を知っていますか」

「いや、知りません…が、あれですか」

「ご神体が巨大な男根なんです。あれを見ると熊本の男衆はすごいと秘かに敬意を払っていたのです」

「もともと夫婦円満、子孫繁栄の神社ですが、地元にいても知らない人も多いですよ」

「最近では浮気封じの神社に変身していると聞きますが…」

「そうです。男根や女の性器にクギを打ち付けて奉納している」

「そうですか。神社も時代とともに変わるんですね」

「まあ、そういうことですかね」

 このまま長居していては失礼になると、真三夫婦はお礼を言って退散した。

 人吉の公園で物思いにふけっていたが、るり子が「もう帰りましょう」と声をかけたので、真三は我に返って東屋の椅子から離れた。

 結局、人吉では全行程四・五kmを徒歩で歩き、帰りはヤマセミで帰った。

 帰りの道中、三十年前の真三自身の結婚式を振り返った。その頃は大阪にいた。結納金と称して十万円を喫茶店で渡した。それを九十六歳まで生きたるり子の母親が何一つ文句を言わずに自宅の神棚に祀って飾ったと聞いたとき、涙がこぼれそうになった。

 「いまどき、こんな優しいひとがいるのか」と胸が熱くなった。当時でも一般のサラリーマン家庭で結納金は百~三百万と言われていた。「まさか、るり子が母親に渡すと思っていなかったので、穴があったら入りたかった」と後悔した。

 結婚式は近くの神社でウエディングドレスを着て、カメラマンは親父であった。式を終えたら、タクシーに分乗して大阪市内のステンドグラスで飾られた大正ロマン風の喫茶店を借り切って家族、一部の親友、会社の上司、媒酌人夫妻の総勢三十名程度の小宴で済ませた。それでもなにか趣向をこらそうと、弟が宴会中は「おてもやん」と「河内音頭」のLPを流して盛り上げた記憶が残っている。

 地方熊本と都会の大阪の組み合わせペアーに、人生の途中、ささいな波風は立ったが、いまは子どもも独立、東京へ去った。真三の両親も逝った。ただ熊本の女房の母親は九十三歳(九十六歳で死去)になるが、一人で暮らしている。

「胸が痛む」

 女房はできるだけ実家に戻る機会を増やしているが、なにぶんにも遠すぎる。

 田舎では長男が面倒をみる習わしが、都会よりも強い。女房の実家もそういうだんどりでいたが、おばあちゃんは熊本市内の長男夫婦の家から抜け出し荒尾の自宅に戻った。家の周囲はみかんや、梅、梨畑の小高い丘である。夜は森閑としている。時折、夜陰に紛れて犬の遠吠えが聞こえるぐらい。寂しさを心の底へしまいこんでいる風に見える。毎日、近所のタロウと名付けられた雑種犬がおばあちゃんに会いにくる。おばあちゃんは亡くなったおじいちゃんに会っているようだとかわいがった。

 老後の問題は熊本でも大阪でも同じだ。真三のお袋も夫が逝ったあと、誰とも同居しないと宣言して倒れるまで一人で踏ん張った。その姿はこれからのわが身を見る思いで真三は苦悩するのだった。

 一人息子が結婚した。相手の女性は福岡・小倉の出身で、東京で知り合った。二人には関西とか、九州だからという意識はない。息子の半分は九州の血脈だからかもしれない。

「そんなこと考えたことないよ」

 問うたことはないが、そんな返答があるような予感がする。

 真三は熊本との差異があったとしても人生の終わりまで「マグマおごじょが爆発しないことを願いたい」と念じた。

 この年齢になると、二泊三日の旅でも疲れが出る。

それでも次の旅を夢見て帰路に着いた。

 ―後日、N君のお父さんからいただいたはがきに

「善さんにも最後まで田舎の披露宴を楽しんでいただきたかった」とあった。

 本来の地域社会を見た気がしてうれしくなった。

 またルーティンな変化のない生活が始まった。時折、近くの河原まで散歩するだけで、家ではテレビを見たり、CDで好きな音楽を聴きながら暇つぶししているだけである。写真撮影もめっきり出かける回数が減った。

 そんな暇をもて遊んでいるところに前島が「久しぶりにかっぱに行きませんか」という誘いの電話が入った。

「先週、九州から帰りました」

「そうですか。お疲れでしょうね」

「いや、来週ならいいですよ」

「ではママに予約を入れておきます」

「よろしくお願いします。」

 るり子が「誰からの電話だったの?」と、台所から声をかけた。

「前島さんからだよ。来週、かっぱで飲み会をすることにした」

「そうですか。疲れていないのですか」

「来週には回復するよ」

 真三はこれから先、そう何回もかっぱに行けないだろうから、今回はゆっくり話したいと願っている。

 るり子は「前の引っ越しで持ちものを相当片づけましたが、真三さんの若い時からの本や書き物が残っていますよ」と、思い切った断捨離を断行する気でいる。

「そうだな。息子に引き継ぐものもないから捨ててもいいだろうな」

「これ、学生時代に書かれた小説ではないのですか?」

「そうだな。俺も親父のように物書きになろうと思ったことがあった。理系出身で文学の素養がないので、あきらめたが、それでもこれだけは記録に残したいと思って書き残したのだ」

 それは京都で出会ったある男の半生に基づくものであった。真三は籐椅子にかけながらその昔、書き残したほこりをかぶった原稿を読み始めた。

 ―『地獄志願の男』というテーマであった。

 我が身につまされる歌舞伎の千代の萩の政岡役―

 新聞記者の柳原慎はだんだんと思案顔に変わる。

「あの男は、きっと殺やられる」

 柳原は舞台で女形を演じるその男を見つめながら呟いていた。(京都という土地には、他人には見えない網、インビジブル・ネットワークが張られているようだ。観光で訪れるとか、ただ通過するだけの人には気が付きにくいのだが…。)

 柳原は南座の二階のマス席に座って、先ほどから落ち着かない様子である。舞台で演じている男から招待されていた。十二月二六日は恒例の京都素人顔見世である。年の瀬ともなると、日本中どこもあわただしくなる。ところが、京の町だけはちょっと違う。あわただしさの中にも心の余裕のようなものが感じられる。南座で十二月の歌舞伎興行を顔見世と名付けている。戦争中も途切れず、八〇年(当時)を超える歴史をもつ。京の人は南座の正面に白木に役者の名前を書いた「まねき」看板が掲げられると、ウキウキしてくるという。京の人の顔見世に対する思い入れは相当なものである。この日のために和服を新調する婦人連も結構多いという。彼女らの顔見世ではないのかと、祇園のクラブのママから、そんな話を聞いた柳原はおかしくなった。

 顔見世は二五日が最終日である。一月の東京興行に間に合うよう大道具、鬘、衣裳を急いで荷造りしてトラック便で送る。それを一日だけ遅らせてもらって、京の人自身が道具一式借り受け、演じるのが素人顔見世だ。こちらの方の席料も本物の顔見世に劣らないほど高い。柳原のいる定員六人のマス席が四万八千円もした。シブチンと言われる京都人も祭りとか歌舞伎にはカネを惜しまない。東京や大阪からやってくる企業の支店長は、はじめのうち、その寄付の多いことに驚くのである。

 舞台は『伽蘿先代萩』(めいぼく せんだいはぎ)は、伊達騒動を題材とした人形浄瑠璃および歌舞伎の演目。その一幕であった・御殿・床下の場である。柳原は歌舞伎を観るのは、これが初めて。地元紙の社会部記者で途中入社組である。素人歌舞伎は柳原のいる新聞社が主催していたが、これまで興味もなかったし、仕事で観る機会もなかった。