姪の就職2

 このことの大切さを真三は親父の苦悩の中で学んだ。会社で親父は管理職に就いたが、苦しんでいる、あるいは悩んでいる社員を強く意識することができた。

 そして死の直前、真三はもう一度、励ましの言葉をかけた。最後は人生を全うした思いを抱いているのか、満足そうな顔を見せた。真三は不安を残しながら九州へ帰った。父の容態を弟の健太郎に電話で伝えた。

「ご苦労さんでした」

「それで万一に備えて死亡記事と、送り先の電話とファックス番号の一覧表をつくっておいてほしい」

 私は新聞記者をしていた弟に頼んだ。親父は社会的に知名人なので当然、死亡記事は必要だと考えた。掲載するかどうかは、各メディアが決めるので、弟は現役中に世話になったと思われるメディアに名刺入れから残っている名刺を抜き出して準備をした。

 新聞の社会面の下に、著名人の死亡記事が載っている。沖縄の新聞をみると、断らない限り全県民の死亡記事が掲載される。多くの人はこれによって人の死亡を確認できる。これを便利だと思うか、迷惑と思うかは人による。とにかく沖縄では人の死亡に関しては丁重に扱っているようだ。葬儀屋は死亡記事を見て注文取りに走る。広告会社も動く。死亡広告を取るためだが、沖縄の新聞は何ページにもわたって死亡広告が出ていることに驚く。広告の大きさによってその家の格付けをされているように思ってしまう。銀行は口座を封じ、そのことを知らせてくる。これによって相続騒動に発展することも少なくない。

 社葬になれば相当なカネが動く。健太郎は新聞社に入ったころから著名人の死亡記事をマークしていたという。大物政治家、実業家、文化人になると、評伝も準備する。私は健太郎から死亡日時と原因だけをあけてつくった死亡記事の原型のゲラを受け取った。そのあとにこれまでの実績と著書一覧を加えて健太郎に送った。健太郎は最後にコメントを必要とする場合もあるかもしれないと、親父と親しかった著名人を本人の了解をとらずに、ただ名前だけを列挙した。

 次に配信先は主要新聞社の社会部、NHK報道局、それに共同通信、時事通信の社会部で、電話とFAXを書き込んだ一覧表を準備した。これも現役の新聞記者が家族にいたからできたが、一般には面倒な仕事である。だいたいは著名人ならメディアとの付き合いもあるだろうから実際は、あまり心配はいらない。

 最近、新聞の社会面の死亡記事を見ていると、

「葬儀はすでに親族だけで済ませました」というのが多い。この傾向はここ数年のことで、それまでは死亡時刻、死亡場所、死亡原因、喪主名、通夜、告別式まで、いまなら個人情報と思われる情報を載せていた。新聞記者は顔写真を集めるのが大変な仕事だった。社に保管されている場合はいいが、ない場合は集めなければならない。

 これが死亡ではなく事件の場合はもっと厄介である。顔写真が載っているかどうかで、記事の迫力が違ってくるからだ。

「とにかく一斉に等しく送ることが大事や」

 弟は社会部記者をしていたのでその点を電話の向こうで強調した。

 九州に戻った真三は職場の友人と、モツのうまい居酒屋で杯を交わしていた。実家から帰ってきた報告をしながら真三の親父について話した。

「東京の九段に靖国神社があるだろう。あそこに太平洋戦争の戦死者の英霊を祀っている。ところがA級戦犯の合祀をしたことから複雑な事情を抱えている」

 真三は親父と戦争について話したことがあったので、つい思い出したように、職場の友人に語った。

「それは聞いたことがある」

 真三の友人も相槌を打つ。

「スーパー・ダイエーの創業者、中内?氏は先の戦争に二等兵で駆り出され、多くの戦友を失った。彼は戦犯と一緒に祀られている靖国神社の境内に足を踏み入れられないので、境内の外の道路から手を合わせるそうだ。戦争の一線に出た経験をもつ人には理屈はない心の叫びがある。先の戦争の是非を問う以前の問題が内面にこびりついている。」

 真三の親父は戦争の第一線で死体の数を数えながら戦争の規模を知ると同時に戦争を憎んだ。従軍小説はドキュメンタリーとはいえ、戦争を鼓舞した思いは拭い去れない。このため文学賞の受賞後長い間、「戦争を憎む」という思いが筆を取れなかった理由であった。

 真三は職場の友人と居酒屋で親父の姿を思い浮かべながら話していた。

「ピィーピィー」

「どうした?」

「ポケベルが呼んでいる。ちょっと電話してくる」

「いいよ」

 真三は九州で単身生活していたので、親父になにかあったら知らせてほしいと弟に頼んでいた。真三は公衆電話を店外に見つけて弟に電話をかけた。いまの時代のように携帯があれば便利だが、そのころはせいぜいポケベルか、時間を見計らって電話をかけるしかなかった。固定電話があまり普及していない時代は電報で知らせたのである。

 真三は公衆電話のコイン入れに100円と10円硬貨を小銭入れから全部取り出して放り込んだ。ポケベルの番号は会社の人間か、家族しか知らない。会社は時間も遅いので、まず弟の自宅に電話を入れた。

「どうしたんだ」

「いまのところ病院から連絡はないが、今日、見舞いがてら病院で担当医に会ったら、ここ一、二日がヤマです―と告げられたので、事前に知らせておこうと思って…」

「そうか。ありがとう。その心づもりで準備するよ」

 真三は電話を切ったあと、肩を落としながら居酒屋の友人のいる席に戻った。

「どうだった」

 友人は不安顔の真三を見て声をかけた。

「どうも親父が思わしくないようだ。明日、朝一番の列車で実家に帰る。申し訳ないが、後のことを頼むよ」

「わかりました。任せてください」

 二人は早目に店を出て帰路についた。

―病院は患者が亡くなると、そのあとの処置は早い。死亡診断書を用意、葬儀屋も紹介する。とにかく退去を急がせる。時間がかかるとみると、病院内の遺体安置所に患者を移す。

 「そうなんですか」とるり子は聞きながら真三に反問する。

「病院は病気を治すことには一生懸命だが、いったん息を引き取ると、自分の役目は終わったと判断、そのあとは専門の業者や僧侶にバトンタッチしたい気持ちになるのだろう」

「それはそうですが、遺族にしたらたまらない気持ちなのに無情ですね」

「そうだな。僕が翌日、名古屋に着いて実家に電話を入れると、もう遺体は家に運ばれていたよ」

 実家では三人の兄弟が顔を揃えた。

「真三兄には家でマスコミからの対応を頼みたい」

 弟はそれだけを告げると長男と葬儀屋に掛け合ってくるとすぐに出て行った。

 善群三―は、定年後、マスコミ界で少し名が売れた作家であった。作品のいくつかはNHKや民放テレビでドラマ化され、さらにはラジオ、新聞、雑誌へ寄稿や、インタビュー記事が掲載された。講演にも出かけていた。そういう状況だったから葬儀をやれば相当な人が弔辞に訪れることが予想された。そうなると、葬儀は個人の家では対応できない規模になる。

 死亡記事に―「葬儀はせず、親族だけで済ませました」の一文を入れるには相当な決断がいった。当時は葬儀をしないというのは非常識だと思われていたからだ。

「なぜ、葬儀をしてくれないのだ」

 関係者から不満の声が伝わってきた。とくに弟の健太郎は同じ新聞社だったので相当、非難めいたことを言われたと、後で知った。香典を渡そうと考えても、葬儀や通夜がないと、後日、日を改めて出かけなければならないという人もいた。

 「世話になったのでお悔やみも言えない」―という声が一番、多かったそうだ。

 真三や長男はそれほどでもなかったが、考えてみれば「一定のケジメというか、ピリオドを打ちたいことはわかる」と、真三は健太郎から報告を受けた時に漏らした。

 善家族は葬儀をしなかったことを率直に喜んだ。今ではこのスタイルが普通になっている。葬儀をする家は地元の名士か、商売人の家に多い。ケジメをつけ、悲しい気持ちを癒してもらうには伝統的な葬儀をする、あるいは整理をつけやすい面はある。一方、若い人たちにとっては経済的なことも考えられる。

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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姪の就職2

 このことの大切さを真三は親父の苦悩の中で学んだ。会社で親父は管理職に就いたが、苦しんでいる、あるいは悩んでいる社員を強く意識することができた。

 そして死の直前、真三はもう一度、励ましの言葉をかけた。最後は人生を全うした思いを抱いているのか、満足そうな顔を見せた。真三は不安を残しながら九州へ帰った。父の容態を弟の健太郎に電話で伝えた。

「ご苦労さんでした」

「それで万一に備えて死亡記事と、送り先の電話とファックス番号の一覧表をつくっておいてほしい」

 私は新聞記者をしていた弟に頼んだ。親父は社会的に知名人なので当然、死亡記事は必要だと考えた。掲載するかどうかは、各メディアが決めるので、弟は現役中に世話になったと思われるメディアに名刺入れから残っている名刺を抜き出して準備をした。

 新聞の社会面の下に、著名人の死亡記事が載っている。沖縄の新聞をみると、断らない限り全県民の死亡記事が掲載される。多くの人はこれによって人の死亡を確認できる。これを便利だと思うか、迷惑と思うかは人による。とにかく沖縄では人の死亡に関しては丁重に扱っているようだ。葬儀屋は死亡記事を見て注文取りに走る。広告会社も動く。死亡広告を取るためだが、沖縄の新聞は何ページにもわたって死亡広告が出ていることに驚く。広告の大きさによってその家の格付けをされているように思ってしまう。銀行は口座を封じ、そのことを知らせてくる。これによって相続騒動に発展することも少なくない。

 社葬になれば相当なカネが動く。健太郎は新聞社に入ったころから著名人の死亡記事をマークしていたという。大物政治家、実業家、文化人になると、評伝も準備する。私は健太郎から死亡日時と原因だけをあけてつくった死亡記事の原型のゲラを受け取った。そのあとにこれまでの実績と著書一覧を加えて健太郎に送った。健太郎は最後にコメントを必要とする場合もあるかもしれないと、親父と親しかった著名人を本人の了解をとらずに、ただ名前だけを列挙した。

 次に配信先は主要新聞社の社会部、NHK報道局、それに共同通信、時事通信の社会部で、電話とFAXを書き込んだ一覧表を準備した。これも現役の新聞記者が家族にいたからできたが、一般には面倒な仕事である。だいたいは著名人ならメディアとの付き合いもあるだろうから実際は、あまり心配はいらない。

 最近、新聞の社会面の死亡記事を見ていると、

「葬儀はすでに親族だけで済ませました」というのが多い。この傾向はここ数年のことで、それまでは死亡時刻、死亡場所、死亡原因、喪主名、通夜、告別式まで、いまなら個人情報と思われる情報を載せていた。新聞記者は顔写真を集めるのが大変な仕事だった。社に保管されている場合はいいが、ない場合は集めなければならない。

 これが死亡ではなく事件の場合はもっと厄介である。顔写真が載っているかどうかで、記事の迫力が違ってくるからだ。

「とにかく一斉に等しく送ることが大事や」

 弟は社会部記者をしていたのでその点を電話の向こうで強調した。

 九州に戻った真三は職場の友人と、モツのうまい居酒屋で杯を交わしていた。実家から帰ってきた報告をしながら真三の親父について話した。

「東京の九段に靖国神社があるだろう。あそこに太平洋戦争の戦死者の英霊を祀っている。ところがA級戦犯の合祀をしたことから複雑な事情を抱えている」

 真三は親父と戦争について話したことがあったので、つい思い出したように、職場の友人に語った。

「それは聞いたことがある」

 真三の友人も相槌を打つ。

「スーパー・ダイエーの創業者、中内?氏は先の戦争に二等兵で駆り出され、多くの戦友を失った。彼は戦犯と一緒に祀られている靖国神社の境内に足を踏み入れられないので、境内の外の道路から手を合わせるそうだ。戦争の一線に出た経験をもつ人には理屈はない心の叫びがある。先の戦争の是非を問う以前の問題が内面にこびりついている。」

 真三の親父は戦争の第一線で死体の数を数えながら戦争の規模を知ると同時に戦争を憎んだ。従軍小説はドキュメンタリーとはいえ、戦争を鼓舞した思いは拭い去れない。このため文学賞の受賞後長い間、「戦争を憎む」という思いが筆を取れなかった理由であった。

 真三は職場の友人と居酒屋で親父の姿を思い浮かべながら話していた。

「ピィーピィー」

「どうした?」

「ポケベルが呼んでいる。ちょっと電話してくる」

「いいよ」

 真三は九州で単身生活していたので、親父になにかあったら知らせてほしいと弟に頼んでいた。真三は公衆電話を店外に見つけて弟に電話をかけた。いまの時代のように携帯があれば便利だが、そのころはせいぜいポケベルか、時間を見計らって電話をかけるしかなかった。固定電話があまり普及していない時代は電報で知らせたのである。

 真三は公衆電話のコイン入れに100円と10円硬貨を小銭入れから全部取り出して放り込んだ。ポケベルの番号は会社の人間か、家族しか知らない。会社は時間も遅いので、まず弟の自宅に電話を入れた。

「どうしたんだ」

「いまのところ病院から連絡はないが、今日、見舞いがてら病院で担当医に会ったら、ここ一、二日がヤマです―と告げられたので、事前に知らせておこうと思って…」

「そうか。ありがとう。その心づもりで準備するよ」

 真三は電話を切ったあと、肩を落としながら居酒屋の友人のいる席に戻った。

「どうだった」

 友人は不安顔の真三を見て声をかけた。

「どうも親父が思わしくないようだ。明日、朝一番の列車で実家に帰る。申し訳ないが、後のことを頼むよ」

「わかりました。任せてください」

 二人は早目に店を出て帰路についた。

―病院は患者が亡くなると、そのあとの処置は早い。死亡診断書を用意、葬儀屋も紹介する。とにかく退去を急がせる。時間がかかるとみると、病院内の遺体安置所に患者を移す。

 「そうなんですか」とるり子は聞きながら真三に反問する。

「病院は病気を治すことには一生懸命だが、いったん息を引き取ると、自分の役目は終わったと判断、そのあとは専門の業者や僧侶にバトンタッチしたい気持ちになるのだろう」

「それはそうですが、遺族にしたらたまらない気持ちなのに無情ですね」

「そうだな。僕が翌日、名古屋に着いて実家に電話を入れると、もう遺体は家に運ばれていたよ」

 実家では三人の兄弟が顔を揃えた。

「真三兄には家でマスコミからの対応を頼みたい」

 弟はそれだけを告げると長男と葬儀屋に掛け合ってくるとすぐに出て行った。

 善群三―は、定年後、マスコミ界で少し名が売れた作家であった。作品のいくつかはNHKや民放テレビでドラマ化され、さらにはラジオ、新聞、雑誌へ寄稿や、インタビュー記事が掲載された。講演にも出かけていた。そういう状況だったから葬儀をやれば相当な人が弔辞に訪れることが予想された。そうなると、葬儀は個人の家では対応できない規模になる。

 死亡記事に―「葬儀はせず、親族だけで済ませました」の一文を入れるには相当な決断がいった。当時は葬儀をしないというのは非常識だと思われていたからだ。

「なぜ、葬儀をしてくれないのだ」

 関係者から不満の声が伝わってきた。とくに弟の健太郎は同じ新聞社だったので相当、非難めいたことを言われたと、後で知った。香典を渡そうと考えても、葬儀や通夜がないと、後日、日を改めて出かけなければならないという人もいた。

 「世話になったのでお悔やみも言えない」―という声が一番、多かったそうだ。

 真三や長男はそれほどでもなかったが、考えてみれば「一定のケジメというか、ピリオドを打ちたいことはわかる」と、真三は健太郎から報告を受けた時に漏らした。

 善家族は葬儀をしなかったことを率直に喜んだ。今ではこのスタイルが普通になっている。葬儀をする家は地元の名士か、商売人の家に多い。ケジメをつけ、悲しい気持ちを癒してもらうには伝統的な葬儀をする、あるいは整理をつけやすい面はある。一方、若い人たちにとっては経済的なことも考えられる。