■杉本武之プロフィール

1939年 碧南市に生まれる。

京都大学文学部卒業。

翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。

25年間、西尾市の小中学校に勤務。

定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。

〈趣味〉読書と競馬

 

【36】外国映画(その2)

◎『初恋のきた道』

 

 去る4月5日( 金)、NHKBS プレミアムで『初恋のきた道』が放映されました。

 もう3度も観た映画ですが、その日は朝から、始まるのが待ち切れませんでした。「また泣くだろうな」と思いながら観ていました。案の定、後から後から涙が出てきました。

 貧しい村で盲目の祖母と暮らす18歳の若い娘が、新しくやって来た20歳の青年教師に恋をする、というだけの単純な物語です。しかし、その青年教師を一途に恋い慕う少女の姿に激しく心が揺さぶられ、涙が出てしまうのです。その対象が何であれ、一途に取り組む人の姿を見たり、聞いたり、読んだりすると、私はすぐ涙ぐんでしまうのです。

 この純粋な恋を描いた『初恋のきた道』は、1999年に中国の映画監督チャン・イーモウ(張芸謀)によって作られました。同じ年に『あの子を探して』も作られました。失踪した教え子を必死に探す臨時教師の若い娘の行動を描いたこの映画も私は大好きです。

 チャン・イーモウは1951年11月に中国の西安に生まれました。1982年に北京電影大学を卒業すると、撮影監督、俳優として映画業界に入りました。その後、監督としてのデビュー作『紅いコーリャン』(1987)によって国際的にも有名になりました。

 『初恋のきた道』は、白黒の画面で始まります。

 父親の死を知らされた息子が村に帰って来ます。教師だった父親が、新しい校舎建設の陳情のため隣の町に行って、心臓病で亡くなったのです。母親は、夫の遺体を、車を使わずに人々に担いで町から村まで運んでもらいたいと主張して譲りません。その道は、大切な大切な初恋がやって来た道だったのです。

 続いて回想の場面になり、美しいカラーの画面に変わります。そこに登場する村の娘の何という可憐さ!何という至純な心情!男であれ女であれ、人はこれほど異性を好きになれるものでしょうか。

 一途に恋い慕う少女の姿が、何度も何度も、四季折々の美しい自然の中で描かれます。学校が終わって子どもたちを送るために一緒に歩く青年教師を見ようとして、木々の間を隠れるように追いかける場面は特に情感たっぷりに描写されています。

 自由恋愛が珍しい村で青年教師を慕い続ける娘の気持ちは、村の人々にも理解され始めます。そして、二人の結婚は温かく受け入れられました。

 画面は再び白黒になり、教え子たちが交代で恩師の遺体の入った柩を担いで運ぶ場面になります。知らせを聞いて、100人を超す教え子たちが参集したのです。そして、無償で遺体を担いだのでした。

 数日後、教師ではない息子が、父親が教えていた古い教室で、一日だけ、父親が村に来て初めて使った手作りの教科書で授業をします。それを知った年老いた母親が聞きにやって来ます。出会い、結婚してからの40年間、彼女は毎日のように夫の授業を聞きに来ていたのでした。最愛の夫が作った教科書を読む息子の声を、彼女は感慨無量で聞いています。彼女は、亡き夫が教科書を読むのを聞くのが何よりも好きだったのです。白黒で写し出される皺だらけの顔に、娘時代の若く溌剌とした顔がカラーで重なります。

 これほど至純な愛を捧げる女性を描いた映画は滅多にありません。

 なお、張芸謀は、北京オリンピックの壮麗な開会式と閉会式を演出しました。

◎『逢びき』

 この86分の比較的短い中年男女の恋愛映画は、1945年にイギリスの名匠デヴィッド・リーンによって作られました。

 週に1回、木曜日だけ町の病院で働く医師と、木曜日にだけ映画を観たり買い物に町に出掛ける平凡な主婦が、ふとしたきっかけで知り合い、親しくなり、互いに愛を抱くようになる……。巧みに組み立てられた場面構成によって、互いに家庭を持ち、子供もいる中年の男女の恋愛という珍しくもない単純なストーリーが実に見ごたえのある名作に仕上げられました。著名な劇作家ノエル・カワードの原作をリーン監督が脚色しました。

 二人は木曜日ごとに6回逢って、そして別れます。

 ――最初の木曜日。駅のホームに立つローラの前に急行列車が通過する。汽車の煤が目に入る。ホームの脇の喫茶店で、たまたま居合わせた見も知らぬ医師のアレックに、その目に入った煤をハンカチで取ってもらう。

 次の木曜日。ローラは買い物をして映画を観た後、レストランで医師と再会する。

 三回目の木曜日。二人で映画を観る。互いに愛を感じるようになる。

 知り合って4回目の木曜日。互いに愛を認め合いキスを交わす。

 5回目の木曜日。ドライブを楽しんだ後、アレックが友人のアパートにローラを誘う。不意に友人が帰宅する。ローラは裏階段から逃げ出す。急いで追いかけて駅に来たアレックが「来週、もう1回逢ってくれ。数日後にヨハネスブルグに転居する」と言う。

 そして、最後の木曜日。アレックが立ち去った後、ホームに走り出たローラの前を急行列車が驀進する。「死ねなかった。夫と子供のため……いいえ、本当は苦しみから逃げたかった」。家に戻ると、優しい夫が待っていた。クロスワード・パズルに夢中の夫の向かいに座って、ローラは切ない6回の出会いを回想する。列車に飛び込もうとした瞬間の場面を思い出していた時の妻の表情から何か異常な気配を察した夫は、苦悩する妻を優しく抱擁する。――ここで、映画は終わります。

 多くの場面で流れるラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』の甘く哀しい旋律が、観る者の心を激しく揺さぶります。有名なクラシック音楽がこれほど効果的に使われた例は殆ど有りません。

 『初恋のきた道』には若さが満ちていました。苦しくとも未来に希望がありました。二人は結ばれ、幸福になるだろう。そう思いながら、私たちは、心のどこかで安堵していました。しかし、『逢びき』は違います。二人には若さがありません。未来には希望がありません。二人が結ばれたとしても、その後に悲劇が待ち受けています。それぞれに家庭があります。頼っている家族がいます。こういう二人の間に愛が深まっていくにつれ、観ている私たちは息苦しくなっていきます。映画が終わって初めて、やはり別れた方がよかったのだ、と私たちは思い、緊張が解けてホッとした気持ちになります。

 デヴィッド・リーン(1908~1991) は、この『逢びき』の後、『旅情』(1955)、『戦場にかける橋』(1957)、『アラビアのロレンス』(1962)などの名作を作りました。『第三の男』を作ったキャロル・リードと共にイギリスを代表する名監督でした。彼の数多くの作品の中で、私は『逢びき』が一番好きです。

 

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【36】外国映画(その2)

◎『初恋のきた道』

 

 去る4月5日( 金)、NHKBS プレミアムで『初恋のきた道』が放映されました。

 もう3度も観た映画ですが、その日は朝から、始まるのが待ち切れませんでした。「また泣くだろうな」と思いながら観ていました。案の定、後から後から涙が出てきました。

 貧しい村で盲目の祖母と暮らす18歳の若い娘が、新しくやって来た20歳の青年教師に恋をする、というだけの単純な物語です。しかし、その青年教師を一途に恋い慕う少女の姿に激しく心が揺さぶられ、涙が出てしまうのです。その対象が何であれ、一途に取り組む人の姿を見たり、聞いたり、読んだりすると、私はすぐ涙ぐんでしまうのです。

 この純粋な恋を描いた『初恋のきた道』は、1999年に中国の映画監督チャン・イーモウ(張芸謀)によって作られました。同じ年に『あの子を探して』も作られました。失踪した教え子を必死に探す臨時教師の若い娘の行動を描いたこの映画も私は大好きです。

 チャン・イーモウは1951年11月に中国の西安に生まれました。1982年に北京電影大学を卒業すると、撮影監督、俳優として映画業界に入りました。その後、監督としてのデビュー作『紅いコーリャン』(1987)によって国際的にも有名になりました。

 『初恋のきた道』は、白黒の画面で始まります。

 父親の死を知らされた息子が村に帰って来ます。教師だった父親が、新しい校舎建設の陳情のため隣の町に行って、心臓病で亡くなったのです。母親は、夫の遺体を、車を使わずに人々に担いで町から村まで運んでもらいたいと主張して譲りません。その道は、大切な大切な初恋がやって来た道だったのです。

 続いて回想の場面になり、美しいカラーの画面に変わります。そこに登場する村の娘の何という可憐さ!何という至純な心情!男であれ女であれ、人はこれほど異性を好きになれるものでしょうか。

 一途に恋い慕う少女の姿が、何度も何度も、四季折々の美しい自然の中で描かれます。学校が終わって子どもたちを送るために一緒に歩く青年教師を見ようとして、木々の間を隠れるように追いかける場面は特に情感たっぷりに描写されています。

 自由恋愛が珍しい村で青年教師を慕い続ける娘の気持ちは、村の人々にも理解され始めます。そして、二人の結婚は温かく受け入れられました。

 画面は再び白黒になり、教え子たちが交代で恩師の遺体の入った柩を担いで運ぶ場面になります。知らせを聞いて、100人を超す教え子たちが参集したのです。そして、無償で遺体を担いだのでした。

 数日後、教師ではない息子が、父親が教えていた古い教室で、一日だけ、父親が村に来て初めて使った手作りの教科書で授業をします。それを知った年老いた母親が聞きにやって来ます。出会い、結婚してからの40年間、彼女は毎日のように夫の授業を聞きに来ていたのでした。最愛の夫が作った教科書を読む息子の声を、彼女は感慨無量で聞いています。彼女は、亡き夫が教科書を読むのを聞くのが何よりも好きだったのです。白黒で写し出される皺だらけの顔に、娘時代の若く溌剌とした顔がカラーで重なります。

 これほど至純な愛を捧げる女性を描いた映画は滅多にありません。

 なお、張芸謀は、北京オリンピックの壮麗な開会式と閉会式を演出しました。

 

◎『逢びき』

 この86分の比較的短い中年男女の恋愛映画は、1945年にイギリスの名匠デヴィッド・リーンによって作られました。

 週に1回、木曜日だけ町の病院で働く医師と、木曜日にだけ映画を観たり買い物に町に出掛ける平凡な主婦が、ふとしたきっかけで知り合い、親しくなり、互いに愛を抱くようになる……。巧みに組み立てられた場面構成によって、互いに家庭を持ち、子供もいる中年の男女の恋愛という珍しくもない単純なストーリーが実に見ごたえのある名作に仕上げられました。著名な劇作家ノエル・カワードの原作をリーン監督が脚色しました。

 二人は木曜日ごとに6回逢って、そして別れます。

 ――最初の木曜日。駅のホームに立つローラの前に急行列車が通過する。汽車の煤が目に入る。ホームの脇の喫茶店で、たまたま居合わせた見も知らぬ医師のアレックに、その目に入った煤をハンカチで取ってもらう。

 次の木曜日。ローラは買い物をして映画を観た後、レストランで医師と再会する。

 三回目の木曜日。二人で映画を観る。互いに愛を感じるようになる。

 知り合って4回目の木曜日。互いに愛を認め合いキスを交わす。

 5回目の木曜日。ドライブを楽しんだ後、アレックが友人のアパートにローラを誘う。不意に友人が帰宅する。ローラは裏階段から逃げ出す。急いで追いかけて駅に来たアレックが「来週、もう1回逢ってくれ。数日後にヨハネスブルグに転居する」と言う。

 そして、最後の木曜日。アレックが立ち去った後、ホームに走り出たローラの前を急行列車が驀進する。「死ねなかった。夫と子供のため……いいえ、本当は苦しみから逃げたかった」。家に戻ると、優しい夫が待っていた。クロスワード・パズルに夢中の夫の向かいに座って、ローラは切ない6回の出会いを回想する。列車に飛び込もうとした瞬間の場面を思い出していた時の妻の表情から何か異常な気配を察した夫は、苦悩する妻を優しく抱擁する。――ここで、映画は終わります。

 多くの場面で流れるラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』の甘く哀しい旋律が、観る者の心を激しく揺さぶります。有名なクラシック音楽がこれほど効果的に使われた例は殆ど有りません。

 『初恋のきた道』には若さが満ちていました。苦しくとも未来に希望がありました。二人は結ばれ、幸福になるだろう。そう思いながら、私たちは、心のどこかで安堵していました。しかし、『逢びき』は違います。二人には若さがありません。未来には希望がありません。二人が結ばれたとしても、その後に悲劇が待ち受けています。それぞれに家庭があります。頼っている家族がいます。こういう二人の間に愛が深まっていくにつれ、観ている私たちは息苦しくなっていきます。映画が終わって初めて、やはり別れた方がよかったのだ、と私たちは思い、緊張が解けてホッとした気持ちになります。

 デヴィッド・リーン(1908~1991) は、この『逢びき』の後、『旅情』(1955)、『戦場にかける橋』(1957)、『アラビアのロレンス』(1962)などの名作を作りました。『第三の男』を作ったキャロル・リードと共にイギリスを代表する名監督でした。彼の数多くの作品の中で、私は『逢びき』が一番好きです。