しかし幹には夢がありました。命祺とつくる「鈴渓義塾」の夢です。小鈴谷村を村民とともに豊かにしていく村づくりのための鈴渓義塾の夢。そこで幹は泰山に申し出ます。「先生、やはり鈴渓の郷の教員になります」。それを聞いて、泰山は、「嗚呼、君は郷党の師となるか」と言います。この言の中には泰山の万感の思いが込められていると思います。そして幹の「先生、俯きて言なし」の無言の中にも。

 師範学校の目標はいい先生を養成することですので、幹が卒業して鈴渓義塾の先生となることは泰山にとっては本当は喜ばしい事なのです。しかし泰山は幹にこの師範学校でまだ頑張ってほしかったのです。そのため、幹の申し出を聞いて心から喜べない自分に恥じ入ります。「本当は喜ぶべきなのに、残念などと言ってごめん。改めて言おう。おめでとう。頑張って下さい」と。これを聞いて幹は何も言えず「先生、ありがとうございます。頑張ります」と心で誓い、無言で別れたのだと思います。

 この部分を読むと、私はいつも胸に熱きものを覚えます。私には、この離別の会話は溝口幹が盛田命祺の薫陶に応え盛田命祺とともに歩む決意の会話と思え、そしてこれが結果として小鈴谷村を「徳これ香る」郷にしていくことになっていくのです。

 さて、溝口幹の教育がどれほど素晴らしかったか。『溝口幹先生小傳』は次のように伝えています。

 

数十年に及ぶ鈴渓義塾において先生の門弟子は千有余になるが、その中で、大学(帝国大学)卒業生12人、専門学校(旧制)卒業生24人、中等学校(旧制)卒業生93人、大学在学の者3人、実業家・地方有力なる人士数百人を輩出している。半田・大野以南一帯の有力なる人士にして先生の徳風を蒙らざる者稀なり。

 

 この引用文で、特に「有力なる人士」の語に注目してほしい。この語は金を儲けた人を指す語ではありません。村々で人々に対し有力な働きをしている人を指しています。鈴渓義塾は村々のリーダーとして活躍している人を多く輩出しています。全くの納得です。

 では、溝口幹自身は自らの教育をどう語っているのでしょうか。1908 年の『溝口先生頌徳記念―附鈴渓同窓会報告書第12 回』に出ています。

 

我が校より出でて今日既に立派なる位置にあられる方々は、みなその人々の器量にして私の決して与えたる所ではありません。

 

 何と謙虚なことばでしょうか。この中には教育の真実が語られています。この語からは「初等にて人間の土台を築いてやれば、人は持って生れた器量を磨いて成長していくという確信を持ち、それを磨く努力はその人にあって、その成果はその人のものと考え、私は卒業生たちの成長を暖かく見守ってきただけです」という思想が見られます。私は学問の真実の道を説いただけ頑張ったのは皆さんで皆さんが偉いのです。

 溝口幹は小学校教員として努力しただけではありませんでした。深く学に志す者には私塾と称し夜自宅に招き更に指導したのでした。その成果は先に示した通りです。

 溝口幹についてはまだまだ書きたいことがたくさんあります。特に細井平洲との関係はまだ充分には書けていません。卒業生たちが幹先生を讃える語に「師表」という語を使っています。幹が学問を語るに、細井平洲の言でもって語ったからでしょう。細井平洲の『嚶鳴館遺草』や『嚶鳴館遺稿』にはこの「師表」という語が頻出しています。師表の意味は深長です。

 以上で、村民とともに生きた盛田命祺の期待に応え、村民とともに生きた溝口幹による鈴渓義塾物語を終えることにします。

 

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 しかし幹には夢がありました。命祺とつくる「鈴渓義塾」の夢です。小鈴谷村を村民とともに豊かにしていく村づくりのための鈴渓義塾の夢。そこで幹は泰山に申し出ます。「先生、やはり鈴渓の郷の教員になります」。それを聞いて、泰山は、「嗚呼、君は郷党の師となるか」と言います。この言の中には泰山の万感の思いが込められていると思います。そして幹の「先生、俯きて言なし」の無言の中にも。

 師範学校の目標はいい先生を養成することですので、幹が卒業して鈴渓義塾の先生となることは泰山にとっては本当は喜ばしい事なのです。しかし泰山は幹にこの師範学校でまだ頑張ってほしかったのです。そのため、幹の申し出を聞いて心から喜べない自分に恥じ入ります。「本当は喜ぶべきなのに、残念などと言ってごめん。改めて言おう。おめでとう。頑張って下さい」と。これを聞いて幹は何も言えず「先生、ありがとうございます。頑張ります」と心で誓い、無言で別れたのだと思います。

 この部分を読むと、私はいつも胸に熱きものを覚えます。私には、この離別の会話は溝口幹が盛田命祺の薫陶に応え盛田命祺とともに歩む決意の会話と思え、そしてこれが結果として小鈴谷村を「徳これ香る」郷にしていくことになっていくのです。

 さて、溝口幹の教育がどれほど素晴らしかったか。『溝口幹先生小傳』は次のように伝えています。

 

数十年に及ぶ鈴渓義塾において先生の門弟子は千有余になるが、その中で、大学(帝国大学)卒業生12人、専門学校(旧制)卒業生24人、中等学校(旧制)卒業生93人、大学在学の者3人、実業家・地方有力なる人士数百人を輩出している。半田・大野以南一帯の有力なる人士にして先生の徳風を蒙らざる者稀なり。

 

 この引用文で、特に「有力なる人士」の語に注目してほしい。この語は金を儲けた人を指す語ではありません。村々で人々に対し有力な働きをしている人を指しています。鈴渓義塾は村々のリーダーとして活躍している人を多く輩出しています。全くの納得です。

 では、溝口幹自身は自らの教育をどう語っているのでしょうか。1908 年の『溝口先生頌徳記念―附鈴渓同窓会報告書第12 回』に出ています。

 

我が校より出でて今日既に立派なる位置にあられる方々は、みなその人々の器量にして私の決して与えたる所ではありません。

 

 何と謙虚なことばでしょうか。この中には教育の真実が語られています。この語からは「初等にて人間の土台を築いてやれば、人は持って生れた器量を磨いて成長していくという確信を持ち、それを磨く努力はその人にあって、その成果はその人のものと考え、私は卒業生たちの成長を暖かく見守ってきただけです」という思想が見られます。私は学問の真実の道を説いただけ頑張ったのは皆さんで皆さんが偉いのです。

 溝口幹は小学校教員として努力しただけではありませんでした。深く学に志す者には私塾と称し夜自宅に招き更に指導したのでした。その成果は先に示した通りです。

 溝口幹についてはまだまだ書きたいことがたくさんあります。特に細井平洲との関係はまだ充分には書けていません。卒業生たちが幹先生を讃える語に「師表」という語を使っています。幹が学問を語るに、細井平洲の言でもって語ったからでしょう。細井平洲の『嚶鳴館遺草』や『嚶鳴館遺稿』にはこの「師表」という語が頻出しています。師表の意味は深長です。

 以上で、村民とともに生きた盛田命祺の期待に応え、村民とともに生きた溝口幹による鈴渓義塾物語を終えることにします。