姪の就職2

るり子は東京見物をどういうわけか、評価していない。

「私なんかはあの息子夫婦とは合わないですね」

「どこがだ」

「何もかもですよ」

「だけど食事もよく進んでいたのではないのか」

「食べるものがなかったから無理して食べたのですよ」

「嫌だったら残せばいいではないか」

「昔人間ですからそれはできませんし、おなかも空いていたのですよ」

「やはり親孝行と、とるべきではないか」

「まあ、二人とも元気にしていたから安心はしましたけど…。この先わかりませんよ」

「考えてみれば、お前とは長い間、過ごしてきたな」

「本当に長いですね」

「俺は大病もしたが、るり子は入院を一度も経験していないな」

「私は生命保険にも入っていませんので、入院は絶対にしないと決めていました」

「君の両親をみてもほとんど入院していないね。うちの両親は何回か入院をしているよ」

「そうなの」

「これまで我が家のことは断片的に話してきたが、人生も第四コーナーを回って直線コースに入ってきたので、人生を振り返りながらじっくり話すよ」

「考えてみれば、ほとんど何も知らず、強引に結婚されたような感じでした」

「それでも離婚せずについてきたな」

「仕方ないですよ」

「それだけ苦労したということか」

「両親と同居しなくてよかっただけでも、ありがたいと思わないといけませんね」

「それでも介護は大変だったけど…」

 真三は食事をすますと、食後のコーヒーを飲みながらるり子に話しかけた。るり子もソファに腰をおろしコーヒーカップを手に取った。

「お父さんが亡くなるときはどうだったのですか」

「そうだな。まず親父が亡くなる一週間前のことから話そうか」

 るり子はコーヒーをすすりながら真三の語る話に興味深げに耳を傾けた。

―親父がなくなる一週間前、僕は親父が入院している中央病院の主治医から呼び出されていた。その頃、単身赴任で九州にいたが、相手が主治医だから休暇をとって病院にかけつけた。

「次男のかたですか?」

 主治医が真三を眼鏡越しに見ながら声をかけた。年齢は五十に届くか、その手前の感じで落ち着いた様子で、椅子に腰を下ろして話しかけた。

「そうです」

 真三は何を告げられるのか、多少、不安を覚えながら主治医の目を凝視しながら対面の椅子に腰をかけた。

「お父さんに聞くと、すべて次男さんに話してほしいということでしたので、急なことで申し訳ありませんでしたが、お父さんの容態について説明しておきたいのです」

「わかりました」

 真三は突然のことで心の準備ができていなかったが、一人で聞くしかないと思い、誰にも声をかけずに病院へ直行した。

 主治医はしばらく沈黙を保ち、真三に顔を向けたり、机の上のパソコンの画面に映っている白黒の胸のレントゲン写真を見入ったりしていた。やがて真三の方に顔を向けて話しかけた。

「実はお父さんの肺に水がたまり、もう手術でどうこうできる状態ではありません」

「ということは、そう長くないと…」

「だから、最期は家で看取られた方がいいと思いますよ」

 融和な言い方だが、選択の余地がないと強い意志で迫ってくるものを感じた。反論するにも、なにもないと真三は黙った。こんな時、長男が医師だから、対応してくれたら助かるのにと思ったが、主治医が真三を指名してきたから仕方がないと悟った。同じ医師でも気心を知らないと、かえって難しいこともわかる。

 病院に入る前に一応、弟の健太郎に電話を入れたが、仕事の手が外せないので、真三に任せると返事をしてきた。主治医からの話を聞いた後、親父のいる病室に入ると、健太郎の女房がベッドのそばの椅子に腰をかけていた。

「ごぶさたしています。健太郎から電話がありました。兄さんが主治医に会いに行くので、手伝うように頼まれました」

「そうですか。ご苦労さんです」

「お兄さんこそ遠いところから大変でしたね」

「主治医に呼び出されてね、どうしても来てほしいと頼まれたものですから…」

「そうですか」

「自宅で看取られたらと、言われました」

「お父さん、何も食べないそうですよ」

「そうですか。今日、家に連れて帰るつもりです」

 この頃はまだ、弟夫婦は離婚していなかった。

 真三が担当の看護師にお礼のあいさつをしている間、健太郎の女房は父を乗せた車椅子を押して玄関に向かった。

 50メートルほど先の父の姿を見て、唖然とした。これまでの体型の半分しかないのだ。何も食べないということだから激痩せしたのだと思った。

 父は死を意識しているのではないか。日本では安楽死が認められていないので、死にたくても死ねない。何も食べないのは、食べる力がないのではなく、自分なりの安楽死の道を選んだのだろうか。それにしても人間がこんなに痩せられるのか。テレビで飢餓に苦しむアフリカの赤ちゃんの映像を見たことがあるが、ガウンを着ていてもはっきりと痩せた体型がわかる。健太郎の女房は車椅子を止めて真三が追いつくのを待った。

「そうでしたか。何も食べていないとは、さぞかし驚いたでしょうね」と、るり子が言うと、真三は「もう考える気力もなくなっていたよ」と答えた。

 病院の玄関に健太郎の女房が呼んでくれたタクシーが待機していた。

「私もご一緒しましょうか」

 彼女は戸惑いながら真三に尋ねた。

「いいですよ。あとは乗るだけですから。ご苦労様でした。健太郎によろしくお伝えください」

「はい…」

 真三は後部座席に父親と並んで座った。体で父親の体を支えるようにして、何もしゃべることなく自宅まで約五十分ほどで着いた。玄関に入ると、お袋が心配顔で待っていた。

「今日、退院したよ」

「大丈夫なの」

 抱えるようにして縁側で真三は父親を籐椅子に座らせ、自分も対面に座った。

「親父はいい人生を送ったよ。現役時代は苦労もあったが、最後に大きな花を咲かせた。よかったな」

「うん…」

 親父を見ると、黙って目をつぶっていたが、うっすらと涙を浮かべている。親父は定年後、嘱託を断り、作家生活を始めたが、原稿が売れない。独立することは原稿の売り込みも自分でしなければ、誰もやってくれない。そのようなことは一番苦手であった。長い間、開店休業で苦しんでいた。文学賞もとった直後でないとその効能は薄れる。親父の場合は、受賞が戦時中で、しかも三十年以上経っていたから、とっくに世間からは忘れられている。

「親父、元気出しや。がんばってや」と励ましの声をかけた。このことがよほどうれしかったのか、本の中で感謝していた。

 最期までぼけることなく、枕元に岩波文庫の『中国名詩選』を置いていた。その中に「四夜四時歌」(しやしいじの歌)があった。これを読んだかどうか定かではないが、死ぬ直前の心境を感じる。

―淵の氷 厚さ三尺

 素雪 千里を覆う

 我が心は松柏の如し

 君が情は複た何かに似たる

(冬の歌。淵には厚さ三尺もの氷がはり、白雪が千里のかなたまでうめつくした。そうした厳しい寒さにもめげずに、青々と茂っている松柏のような愛情をわたしは抱いています。ところであなたはどうなんですか。)

 人は調子のいい人間、上昇中の人間には群がっていくが、落ち目の人間にはそっぽを向く。サラリーマンを辞め、五、六年も月日が流れると、ほとんど音信も途絶える。

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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姪の就職2

るり子は東京見物をどういうわけか、評価していない。

「私なんかはあの息子夫婦とは合わないですね」

「どこがだ」

「何もかもですよ」

「だけど食事もよく進んでいたのではないのか」

「食べるものがなかったから無理して食べたのですよ」

「嫌だったら残せばいいではないか」

「昔人間ですからそれはできませんし、おなかも空いていたのですよ」

「やはり親孝行と、とるべきではないか」

「まあ、二人とも元気にしていたから安心はしましたけど…。この先わかりませんよ」

「考えてみれば、お前とは長い間、過ごしてきたな」

「本当に長いですね」

「俺は大病もしたが、るり子は入院を一度も経験していないな」

「私は生命保険にも入っていませんので、入院は絶対にしないと決めていました」

「君の両親をみてもほとんど入院していないね。うちの両親は何回か入院をしているよ」

「そうなの」

「これまで我が家のことは断片的に話してきたが、人生も第四コーナーを回って直線コースに入ってきたので、人生を振り返りながらじっくり話すよ」

「考えてみれば、ほとんど何も知らず、強引に結婚されたような感じでした」

「それでも離婚せずについてきたな」

「仕方ないですよ」

「それだけ苦労したということか」

「両親と同居しなくてよかっただけでも、ありがたいと思わないといけませんね」

「それでも介護は大変だったけど…」

 真三は食事をすますと、食後のコーヒーを飲みながらるり子に話しかけた。るり子もソファに腰をおろしコーヒーカップを手に取った。

「お父さんが亡くなるときはどうだったのですか」

「そうだな。まず親父が亡くなる一週間前のことから話そうか」

 るり子はコーヒーをすすりながら真三の語る話に興味深げに耳を傾けた。

―親父がなくなる一週間前、僕は親父が入院している中央病院の主治医から呼び出されていた。その頃、単身赴任で九州にいたが、相手が主治医だから休暇をとって病院にかけつけた。

「次男のかたですか?」

 主治医が真三を眼鏡越しに見ながら声をかけた。年齢は五十に届くか、その手前の感じで落ち着いた様子で、椅子に腰を下ろして話しかけた。

「そうです」

 真三は何を告げられるのか、多少、不安を覚えながら主治医の目を凝視しながら対面の椅子に腰をかけた。

「お父さんに聞くと、すべて次男さんに話してほしいということでしたので、急なことで申し訳ありませんでしたが、お父さんの容態について説明しておきたいのです」

「わかりました」

 真三は突然のことで心の準備ができていなかったが、一人で聞くしかないと思い、誰にも声をかけずに病院へ直行した。

 主治医はしばらく沈黙を保ち、真三に顔を向けたり、机の上のパソコンの画面に映っている白黒の胸のレントゲン写真を見入ったりしていた。やがて真三の方に顔を向けて話しかけた。

「実はお父さんの肺に水がたまり、もう手術でどうこうできる状態ではありません」

「ということは、そう長くないと…」

「だから、最期は家で看取られた方がいいと思いますよ」

 融和な言い方だが、選択の余地がないと強い意志で迫ってくるものを感じた。反論するにも、なにもないと真三は黙った。こんな時、長男が医師だから、対応してくれたら助かるのにと思ったが、主治医が真三を指名してきたから仕方がないと悟った。同じ医師でも気心を知らないと、かえって難しいこともわかる。

 病院に入る前に一応、弟の健太郎に電話を入れたが、仕事の手が外せないので、真三に任せると返事をしてきた。主治医からの話を聞いた後、親父のいる病室に入ると、健太郎の女房がベッドのそばの椅子に腰をかけていた。

「ごぶさたしています。健太郎から電話がありました。兄さんが主治医に会いに行くので、手伝うように頼まれました」

「そうですか。ご苦労さんです」

「お兄さんこそ遠いところから大変でしたね」

「主治医に呼び出されてね、どうしても来てほしいと頼まれたものですから…」

「そうですか」

「自宅で看取られたらと、言われました」

「お父さん、何も食べないそうですよ」

「そうですか。今日、家に連れて帰るつもりです」

 この頃はまだ、弟夫婦は離婚していなかった。

 真三が担当の看護師にお礼のあいさつをしている間、健太郎の女房は父を乗せた車椅子を押して玄関に向かった。

 50メートルほど先の父の姿を見て、唖然とした。これまでの体型の半分しかないのだ。何も食べないということだから激痩せしたのだと思った。

 父は死を意識しているのではないか。日本では安楽死が認められていないので、死にたくても死ねない。何も食べないのは、食べる力がないのではなく、自分なりの安楽死の道を選んだのだろうか。それにしても人間がこんなに痩せられるのか。テレビで飢餓に苦しむアフリカの赤ちゃんの映像を見たことがあるが、ガウンを着ていてもはっきりと痩せた体型がわかる。健太郎の女房は車椅子を止めて真三が追いつくのを待った。

「そうでしたか。何も食べていないとは、さぞかし驚いたでしょうね」と、るり子が言うと、真三は「もう考える気力もなくなっていたよ」と答えた。

 病院の玄関に健太郎の女房が呼んでくれたタクシーが待機していた。

「私もご一緒しましょうか」

 彼女は戸惑いながら真三に尋ねた。

「いいですよ。あとは乗るだけですから。ご苦労様でした。健太郎によろしくお伝えください」

「はい…」

 真三は後部座席に父親と並んで座った。体で父親の体を支えるようにして、何もしゃべることなく自宅まで約五十分ほどで着いた。玄関に入ると、お袋が心配顔で待っていた。

「今日、退院したよ」

「大丈夫なの」

 抱えるようにして縁側で真三は父親を籐椅子に座らせ、自分も対面に座った。

「親父はいい人生を送ったよ。現役時代は苦労もあったが、最後に大きな花を咲かせた。よかったな」

「うん…」

 親父を見ると、黙って目をつぶっていたが、うっすらと涙を浮かべている。親父は定年後、嘱託を断り、作家生活を始めたが、原稿が売れない。独立することは原稿の売り込みも自分でしなければ、誰もやってくれない。そのようなことは一番苦手であった。長い間、開店休業で苦しんでいた。文学賞もとった直後でないとその効能は薄れる。親父の場合は、受賞が戦時中で、しかも三十年以上経っていたから、とっくに世間からは忘れられている。

「親父、元気出しや。がんばってや」と励ましの声をかけた。このことがよほどうれしかったのか、本の中で感謝していた。

 最期までぼけることなく、枕元に岩波文庫の『中国名詩選』を置いていた。その中に「四夜四時歌」(しやしいじの歌)があった。これを読んだかどうか定かではないが、死ぬ直前の心境を感じる。

―淵の氷 厚さ三尺

 素雪 千里を覆う

 我が心は松柏の如し

 君が情は複た何かに似たる

(冬の歌。淵には厚さ三尺もの氷がはり、白雪が千里のかなたまでうめつくした。そうした厳しい寒さにもめげずに、青々と茂っている松柏のような愛情をわたしは抱いています。ところであなたはどうなんですか。)

 人は調子のいい人間、上昇中の人間には群がっていくが、落ち目の人間にはそっぽを向く。サラリーマンを辞め、五、六年も月日が流れると、ほとんど音信も途絶える。