姪の就職2

「バンガロールではほとんどのものが入手できるようです」

「マーケットモールには映画館を併設しているのでしょう」

「そうです。インド人は製作本数も多いですが、映画館も多いですね」

「日曜日にオープンしている店はあるのですか」

「結構多いようですよ」

「バンガロールに赴任するときに、日本から持参しないと、現地では入手しにくいものもあるのでしょう」

「あるようです。例えばやかん、キッチンタイマー、箸、和食器、コーヒー用ペーパーフィルター、電子炊飯ジャー、ホットプレート、パン焼き器、洗濯ネット、保冷剤などのほかに、入手困難なモノに野菜ではニラ、日本かぼちゃ、もやし、レンコン、みつば、ごぼう、しめじ、しいたけ等また新鮮な豚肉、牛肉、刺身用の魚などです。さらに醤油、片栗粉、パン粉、日本コメ、味噌、みりん、日本酒、和風だし、中華だし、洋風だし、のり、日本茶、麦茶や昆布などです」

「そう聞きますと、ほとんど不自由しないですね」

「だから日本からはなにも送っていません」

「バンガロールは国際都市だからインドの中でもモノが豊富な都市でしょうね」

「そう思いますね」

「今日は長い間、話し込んでしまいました」

「いいのですよ。お客様も少なかったので、こういう日もあるのですから心配しないでください」

「では前島さん、そろそろおいとましましょうか」

「また、連絡します。ママ、おやすみ…」

 真三と前島は店の前で別れた。

 真三は久しぶりに痛飲した。

「遅かったですね」

 るり子は玄関で迎え、仕方ないわねという思いから低い声で迎え入れた。

「すまん、すまん。久しぶりに話が弾んだのだよ」

「もう、遅いですから寝ましょうか」

「そうだね」

 真三は寝床に入ってもなかなか眠れない。先日、息子夫婦が東京に転勤になり彼らに招待された。この機会に旧友に会って親交を深めたときのことを思い出しながら、しばらく薄目をあけながら思い出していた。

 ―上京の折、交流に付き合っていただきありがとうございました。昨日夜の11時、無事に帰りつきました。いろいろご教示いただき、感謝しています。

 今回、わずかな期間でしたが、東京の中心部を巡って学ぶことがたくさんありました。お礼と言っては独断と偏見ですが、東京印象記を送らせていただきます。また写真約1、000枚から気に入った1枚を選ぶのは至難の業でしたが、添付(奥武蔵で見た十月サクラと紅葉のコラボレーション)いたしますのでご笑覧ください。

 旧友にお礼のメールを送った。

 

老人が消えた街

 久しぶりに上京、東京の街を散策した。息子夫婦が東京に異動した機会に、彼らが住む五反田のマンションのゲストルーム(34F)に招待された。そこで老夫婦の東京見物を企画した。

 午前11時品川に着き、山手線の五反田駅で降りた。周辺は普通の風景だが、マンション群が立ち並ぶ一角は整備され夜は川沿いにイルミネーションが飾られていた。息子夫婦は勤務で留守だったので場所を確認後、時間まで渋谷の街をうろうろした。午後3時に再びマンションに戻り、部屋に入りその高級感に驚いた。眺望だけは圧巻だった。

 この日の夕方、東京駅で待ち合わせ近くの居酒屋で旧友と交流した。居酒屋には東南アジアの旅行客が押しかけていた。飲食店の2割が消えるご時世に、この居酒屋は午後5時から盛況だった。

 この東京都心から老人が消えている―というのが最初の印象だった。老人はどこに行ったのか。今日一日、ほとんど老人を見かけない。この都心から老人が消えているのではないかとつぶやくと、「老人は郊外に追いやられている」と東京に住みついている旧友は言う。そうか、老人は郊外で息を潜めているのか―と納得した。

 ところが翌日、上野の都立美術館にムンク展を観に行った。この芸術の杜には多くの老人が集っていた。ムンクの「叫び」という作品のプリントを若いころからずっと持っていた。不思議な絵だと思いながら美術館内でムンクについて学んだ。彼はたえず死を意識していたことを知った。

 このあと以前から上野に行けば入った精養軒で昼食、ここにも老人は多かった。午後から六義園の紅葉、次に明治神宮そして表参道のイルミネーション道を通って渋谷駅まで約40分、歩いた。

 夕方、渋谷駅のハチ公前で待ち合わせた。ここではまったく老人を見ない。聞こえる日本語や日本人は少なく、ハチ公像の前で次からつぎへとモデルが変わりながら写真を撮っているのはアジア系の観光客である。ハチ公人気はすごい。

 夕食に案内されたレストランは「筋肉食堂」という奇妙な店名だが、筋肉マンの若いお兄さんが優しく迎えてくれた。メニューには「高タンパク、低糖質、低脂肪」と、あった。人気があるのか、次から次へとお客が入ってくる。とにかく変わったメニューが並んでいた。

 次の日、西武池袋線の吾野(あがの)の国民休暇村に向かった。二〇一八年九月にリニューアルを終えたばかりで真新しかった。東京から約一時間半と便利な場所にある。周囲の山々の紅葉は美しく、十月桜が彩りを添えていた。ここは秋でも野花が咲いている。

 全国の国民休暇村をほとんど訪れているファンとしては「奥武蔵」の国民休暇村はイチオシである。もし行かれるなら「にしかわ館一階」の部屋を指定されることをおすすめ。西川木材が有名なのか、その材木で仕上げた新しい部屋だ。

 翌日、ゲストルームのチェックインまで時間があったので、日暮里駅で降りて上野桜木に向かった。墓地を抜けて「このあたり」という路地裏風に並ぶ一角に出た。ちょうど、この日、山形の「かわにし」の豆イベントをしていた。紅大豆と「和紅茶」を買って路地の椅子に座って一服。そこから鶯谷駅に出てマンションのゲストルームに戻った。

 夕方、息子の案内で恵比寿のガーデンプレスタワー39階の「ロングレイン」というタイ料理のレストランに案内された。ここはオーストラリア人所有のオーストラリア発のモダン・タイ・レストランであった。「生きている間に二度とこられないところだ」と脅かされた。客の多くは若い男女や子連れの夫婦も来ていた。「子どものころからこういう雰囲気を味わっておくといいのでは」と、息子が言う。それにしてもタイ料理は合わなかった。それを見て「これからの時代、多様性を受け入れられないと生きていけないぜ」と残した料理を見ながらつぶやいた。レストラン内の従業員の流れも振る舞いも速い。

 確かに老人は変化を嫌い、新しいことに挑戦しないきらいがある。老人と若者はこの先分断されていく予感がする。同居なんかできなくなってきている。もはや老人にとって若者は宇宙人とさえ思えてくる。

 老人も新しいことに挑戦し多様性を認め、受け入れないとこれからの100歳時代は生きていけないと言われるが、どこまでできるか、やるかは疑問だ。街や建物、住まいなど新しい時代に入っていることを感じた旅だった。

 今回の東京で気になったことがある。山手線の車内の到着情報を見て、それぞれの駅で接続列車の多くが、また山手線自身も次の駅で緊急停止ボタンが押されていますなど、たえず遅延情報を流していたことである。これほどきめ細かく情報提供できるシステムに驚いた。「それにしても東京の電車はよく遅れるね」とつぶやくと「みんな慣れているし、ありがたいと思っている」という。『電車の遅延に感謝』という本が出ているくらいだそうだ。「多くのサラリーマンは待っている間にすることがある」とも言われた。

 最終日。朝9時30分、ゲストハウスを出て新橋に向かった。ここから浜離宮まで15分歩いた。ここは主に欧米の観光客がちらほらいるだけで、秋の浜離宮を楽しめた。あの話題の築地市場が500m先にあるから参考の為、行ってみた。大変な人出で、とくにアジア系の観光客が路上飲食しているのが目に付いた。とても飲食店で食事できそうもないので近くのビルの食事処でサラリーマンに混じって日替わりランチを食べ、パートナーと別れた。

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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「バンガロールではほとんどのものが入手できるようです」

「マーケットモールには映画館を併設しているのでしょう」

「そうです。インド人は製作本数も多いですが、映画館も多いですね」

「日曜日にオープンしている店はあるのですか」

「結構多いようですよ」

「バンガロールに赴任するときに、日本から持参しないと、現地では入手しにくいものもあるのでしょう」

「あるようです。例えばやかん、キッチンタイマー、箸、和食器、コーヒー用ペーパーフィルター、電子炊飯ジャー、ホットプレート、パン焼き器、洗濯ネット、保冷剤などのほかに、入手困難なモノに野菜ではニラ、日本かぼちゃ、もやし、レンコン、みつば、ごぼう、しめじ、しいたけ等また新鮮な豚肉、牛肉、刺身用の魚などです。さらに醤油、片栗粉、パン粉、日本コメ、味噌、みりん、日本酒、和風だし、中華だし、洋風だし、のり、日本茶、麦茶や昆布などです」

「そう聞きますと、ほとんど不自由しないですね」

「だから日本からはなにも送っていません」

「バンガロールは国際都市だからインドの中でもモノが豊富な都市でしょうね」

「そう思いますね」

「今日は長い間、話し込んでしまいました」

「いいのですよ。お客様も少なかったので、こういう日もあるのですから心配しないでください」

「では前島さん、そろそろおいとましましょうか」

「また、連絡します。ママ、おやすみ…」

 真三と前島は店の前で別れた。

 真三は久しぶりに痛飲した。

「遅かったですね」

 るり子は玄関で迎え、仕方ないわねという思いから低い声で迎え入れた。

「すまん、すまん。久しぶりに話が弾んだのだよ」

「もう、遅いですから寝ましょうか」

「そうだね」

 真三は寝床に入ってもなかなか眠れない。先日、息子夫婦が東京に転勤になり彼らに招待された。この機会に旧友に会って親交を深めたときのことを思い出しながら、しばらく薄目をあけながら思い出していた。

 ―上京の折、交流に付き合っていただきありがとうございました。昨日夜の11時、無事に帰りつきました。いろいろご教示いただき、感謝しています。

 今回、わずかな期間でしたが、東京の中心部を巡って学ぶことがたくさんありました。お礼と言っては独断と偏見ですが、東京印象記を送らせていただきます。また写真約1、000枚から気に入った1枚を選ぶのは至難の業でしたが、添付(奥武蔵で見た十月サクラと紅葉のコラボレーション)いたしますのでご笑覧ください。

 旧友にお礼のメールを送った。

 

老人が消えた街

 久しぶりに上京、東京の街を散策した。息子夫婦が東京に異動した機会に、彼らが住む五反田のマンションのゲストルーム(34F)に招待された。そこで老夫婦の東京見物を企画した。

 午前11時品川に着き、山手線の五反田駅で降りた。周辺は普通の風景だが、マンション群が立ち並ぶ一角は整備され夜は川沿いにイルミネーションが飾られていた。息子夫婦は勤務で留守だったので場所を確認後、時間まで渋谷の街をうろうろした。午後3時に再びマンションに戻り、部屋に入りその高級感に驚いた。眺望だけは圧巻だった。

 この日の夕方、東京駅で待ち合わせ近くの居酒屋で旧友と交流した。居酒屋には東南アジアの旅行客が押しかけていた。飲食店の2割が消えるご時世に、この居酒屋は午後5時から盛況だった。

 この東京都心から老人が消えている―というのが最初の印象だった。老人はどこに行ったのか。今日一日、ほとんど老人を見かけない。この都心から老人が消えているのではないかとつぶやくと、「老人は郊外に追いやられている」と東京に住みついている旧友は言う。そうか、老人は郊外で息を潜めているのか―と納得した。

 ところが翌日、上野の都立美術館にムンク展を観に行った。この芸術の杜には多くの老人が集っていた。ムンクの「叫び」という作品のプリントを若いころからずっと持っていた。不思議な絵だと思いながら美術館内でムンクについて学んだ。彼はたえず死を意識していたことを知った。

 このあと以前から上野に行けば入った精養軒で昼食、ここにも老人は多かった。午後から六義園の紅葉、次に明治神宮そして表参道のイルミネーション道を通って渋谷駅まで約40分、歩いた。

 夕方、渋谷駅のハチ公前で待ち合わせた。ここではまったく老人を見ない。聞こえる日本語や日本人は少なく、ハチ公像の前で次からつぎへとモデルが変わりながら写真を撮っているのはアジア系の観光客である。ハチ公人気はすごい。

 夕食に案内されたレストランは「筋肉食堂」という奇妙な店名だが、筋肉マンの若いお兄さんが優しく迎えてくれた。メニューには「高タンパク、低糖質、低脂肪」と、あった。人気があるのか、次から次へとお客が入ってくる。とにかく変わったメニューが並んでいた。

 次の日、西武池袋線の吾野(あがの)の国民休暇村に向かった。二〇一八年九月にリニューアルを終えたばかりで真新しかった。東京から約一時間半と便利な場所にある。周囲の山々の紅葉は美しく、十月桜が彩りを添えていた。ここは秋でも野花が咲いている。

 全国の国民休暇村をほとんど訪れているファンとしては「奥武蔵」の国民休暇村はイチオシである。もし行かれるなら「にしかわ館一階」の部屋を指定されることをおすすめ。西川木材が有名なのか、その材木で仕上げた新しい部屋だ。

 翌日、ゲストルームのチェックインまで時間があったので、日暮里駅で降りて上野桜木に向かった。墓地を抜けて「このあたり」という路地裏風に並ぶ一角に出た。ちょうど、この日、山形の「かわにし」の豆イベントをしていた。紅大豆と「和紅茶」を買って路地の椅子に座って一服。そこから鶯谷駅に出てマンションのゲストルームに戻った。

 夕方、息子の案内で恵比寿のガーデンプレスタワー39階の「ロングレイン」というタイ料理のレストランに案内された。ここはオーストラリア人所有のオーストラリア発のモダン・タイ・レストランであった。「生きている間に二度とこられないところだ」と脅かされた。客の多くは若い男女や子連れの夫婦も来ていた。「子どものころからこういう雰囲気を味わっておくといいのでは」と、息子が言う。それにしてもタイ料理は合わなかった。それを見て「これからの時代、多様性を受け入れられないと生きていけないぜ」と残した料理を見ながらつぶやいた。レストラン内の従業員の流れも振る舞いも速い。

 確かに老人は変化を嫌い、新しいことに挑戦しないきらいがある。老人と若者はこの先分断されていく予感がする。同居なんかできなくなってきている。もはや老人にとって若者は宇宙人とさえ思えてくる。

 老人も新しいことに挑戦し多様性を認め、受け入れないとこれからの100歳時代は生きていけないと言われるが、どこまでできるか、やるかは疑問だ。街や建物、住まいなど新しい時代に入っていることを感じた旅だった。

 今回の東京で気になったことがある。山手線の車内の到着情報を見て、それぞれの駅で接続列車の多くが、また山手線自身も次の駅で緊急停止ボタンが押されていますなど、たえず遅延情報を流していたことである。これほどきめ細かく情報提供できるシステムに驚いた。「それにしても東京の電車はよく遅れるね」とつぶやくと「みんな慣れているし、ありがたいと思っている」という。『電車の遅延に感謝』という本が出ているくらいだそうだ。「多くのサラリーマンは待っている間にすることがある」とも言われた。

 最終日。朝9時30分、ゲストハウスを出て新橋に向かった。ここから浜離宮まで15分歩いた。ここは主に欧米の観光客がちらほらいるだけで、秋の浜離宮を楽しめた。あの話題の築地市場が500m先にあるから参考の為、行ってみた。大変な人出で、とくにアジア系の観光客が路上飲食しているのが目に付いた。とても飲食店で食事できそうもないので近くのビルの食事処でサラリーマンに混じって日替わりランチを食べ、パートナーと別れた。