|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
|||||
![]() |
![]() |
||||||
さて、今回はモスクワ北方少し東寄りにある古い田園都市、ヴァログダとその途中にあるヴォルガ川の貿易港として栄えたヤロスラヴリに足を延ばそうと、モスクワを訪れた。 モスクワ・シェレメーチェボ2空港から市内に向かう間、白樺の林や並木が美しい。市内に入ると何やら綿ぼこりのようなものがふわふわと風に舞い、振りかかってくる。一瞬、工場のほこりかなと思ってタクシーの運転手さんに尋ねると、並木などにできた毛が散ってくるのだという。ポプラの一種でモスクワでは有名ですとのこと。へぇ、これはモスクワの夏の風物詩なのかと感心した。洗濯物にも付くし、部屋の中にも入って来るし、こまり物なのだそうだ。 |
|||||||
![]() ![]() ![]() この緑地に続いて全ロシア展示センターがある。かつては社会主義ロシア連邦の繁栄を誇示する常設博覧会場であったが、今は淋し気なバザールになっていた。しかしウクライナの民話「石の花」を具体化したという巨大な噴水は立派で美しかった。子供達の遊具もあり、憩いの場となっている。 この附近は昔シェレメーチェフ伯の領地であった所で、全ロシア展示センターに隣接してシェレメーチフ伯の邸宅であったオスタンキノ御殿博物館がある。同家の農奴建築家の設計により1870年代に建てられた大変立派な木造建築で、イタリアの間、エジプトの間、劇場ホールなどがあり、農奴芸術家達の作品で飾られている。イタリアの間の内装にはイタリア人建築家が招かれたと聞いた。 芸術を愛した伯爵が力をそそいだ劇場は見物席の椅子を移動して舞踊ホールに変える仕掛けがあったそうだ。舞台の白い石柱も紙でできていて天井の木製のホイストで簡単に移動できる。雨の音や雷の擬音を作る道具も展示されていた。肖像画が飾られていたプリマドンナは農奴出身女優で、伯爵が妻にしたが、出産後間もなく若くして他界し、伯爵は恵まれない人達の福祉施設作りに尽力したと聞いた。 モスクワから北へ約600キロメートルのヴォログダへは特急列車を利用した。途中ヤロスラヴリからダニロフの間で、狭い土地を耕した黒土の短いうねに野菜が植えてあった。土の道が続いて、集落があって、日本の農村と良く似た風景に出合った。但し、牧草地らしい広大な原っぱに真白い山羊が一頭遊んでいたのが大きな違いであろうか。天候の変化が激しく、ヴォログダの手前でキレイな虹が出た。 ![]() 大主教の住んだ聖ソフィア大聖堂の庭園内には昔の建物がいろいろあって、この街の歴史や文化をはじめ動植物・地質までの広範な資料が展示された歴史博物館になっていた。キリスト教以前の「異教」の時代には我々にはなじみ深い卍が我々と同じ意味で用いられていた。吉祥、太陽の恵み、魔除けのような意味があったようだ。大聖堂は修復保存のための工事中であったが風通しのため見学させてくれた。ナージャ婦人のお陰と感謝している。16世紀中葉ロシア初代皇帝イワン4世(雷帝)がヴォログダに北の離宮の建設を命じ、途中で変更になったこともあるのだそうだ。写真の4は田園都市ヴォログダとヴォログダ川。赤いマークはヴォログダ市の紋章。写真5は川岸の風景。この街にはロシア正教の美しい寺院が多数ある。 ![]() ![]() 外交団博物館では、第一次世界大戦中の1918年2月から7月までの一時期、当時首都であったペテログラード(現在のサンクト・ペテルブルグ)がドイツ軍に攻撃され、米、英、仏、伊、日本、中国、シャム(タイ国)、ブラジル、セルビアなどの大使館員や米国赤十字ミッションなどが列車で脱出してヴォログダに移動し、ヴォログダがロシアの外交上の首都のようになったことを初めて知った。この街が交通の要であり、移動や通信が便利であったことが理由であったらしい。 ![]() ![]() |
|||||||
|
|||
<高木定夫プロフィール> 1932年、神戸生まれ。神戸大学理学部科学科卒。大阪大学大学院理学研究科博士課程中退。大阪市立大学理工学部科学科助手、近畿大学理工学部科学科講師、助教授を経て1979年より教授、2001年より名誉教授。理学博士。奈良県在住。趣味、あるくこと。 |
|||
|
|||
![]() |
||