|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
||||||||||
直木賞作家の村山由佳さんには、穢れのない純愛小説を書く「白ムラヤマ」と、どろどろとした人間の内面を描く「黒ムラヤマ」の二面がある。 |
![]() |
|||||||||||
![]() |
||||||||||||
![]() 対談の一週間前、村山さんのお父さんが急逝された。享年91。 村山さんが実家にサプライズのつもりで連絡しないで帰ったら、トイレで事切れている父を見つけた。検視した結果、脳幹出血で即座に心臓も止まったはずだといわれ、苦しまずに逝けただけでもよかったと思ったが、もっと頻繁に来ればよかったとか、せめて「これから帰るよ」と連絡していれば、私が来るのを楽しみに待ちながら逝けたのにとか後悔の念が押し寄せ「ごめんね、ごめんね」と泣いてばかりだったそうだ。 村山さんの半自叙伝的な『放蕩記』を読むと、母とは確執があったが、父とは同志のような関係だったことがわかる。母にひどい暴言を吐かれても「性分やからしゃあないな」と慰め合っていた。奔放な性を描いて世間を驚かせた『ダブル・ファンタジー』を書いたときは、父は自分の浮気体験も告白してくれて、性別や親子を越えて話せる間柄だった。 母は、お嬢さん体質で自分中心の人だった。自分の意にそまないことには、傍若無人に振舞った。常軌を逸する厳しさがあった。口答えしようものなら、百倍になって返ってきた。感情の振幅が激しい母の理不尽さに振り回されていた。だから、幼いころから、おのずと「いい子ちゃん」を装っていた。 素の自分を出せない原因は、すべて母との葛藤にあった。母の顔色を窺いながら、本音と建前を使い分けていた。母に見せる顔と、一人妄想に浸る母の知らない顔。それが白ムラヤマと黒ムラヤマ。 |
![]() |
|||||||||||
だが、作家になれたのも、母との葛藤のおかげとも言える。母を許せない自分、本性が出せない自分を、小説の中で弾けさせた。小説に書くことで、心に溜まった澱のデトックスも出来る。自分と向き合うのは辛い作業で、自分を追い詰めもするが、救ってもくれた。 小説があったればこそ |
||||||||||||
|
||||||||||||
|
|||||||||
|
![]() |
||||||||
|
|||||||||
■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画教室開講中 |
|||||||||
![]() |
|||||||||
|
||||
![]() |
||