中学の先生たちにも大きく影響を受けた。中一の担任は体育の先生で、スキーに連れて行ってもらってから運動の苦手意識がなくなった。中二の担任は数学の先生で、混乱したときの物事の考え方を数学的に整理していく方法を教わった。中三の担任は国語の先生で、進路の相談にのってくれた。『セブンティーン』の読者モデルに応募してスカウトされたとき、「自分の世界が開けるんだからがんばりなさい」と応援してくれた。
中学の先生たちが、三田さんを目覚めさせてくれたとはいうものの、どの先生も梨園に嫁ぐと知ったときは「まさか」と思ったはずだ。
中学の3人の担任は、いずれも女性。三田さんの周りには、あこがれて目標にしたい女性の先達が多かった。もちろん、自分の母も中村の義母もそうだ。
芸能界に入ってからも数多くの先輩の女性に影響を受けた。やっかみをいわれたり、意地悪をされたりしたことは一度もないという。いつもかわいがってもらった。
ぶしつけな言い方ながら、三田さんの身体にはいくつか空気穴があって、そこからストレスが抜けていっているような気がする。張り詰めたところがまったくない。
その素直な性格はどうやって形作られたのか問うてみた。
「それはやはり、両親の影響が大きいと思います。私が何か決断するときの基準としたのは、両親です。父に相談したらどう答えるだろう、母ならどういうかなと考えて決めていました。離れている親に心配をかけたくなかったので、実際には相談せず頭の中で考えただけですが…」。
「愛情をもって一生懸命、家族で一丸となって生きる姿を見せてくれましたから、私がいろいろ大変なときにも、親の顔が出てくるんでしょうね」。
「身内からは『まったくもう』といわれていますよ(笑)。梨園のみなさんは完璧な方ばかりで、私はどんなにがんばっても太刀打ちできないので、できなかったら『ごめんなさい』、助けていただいたら『ありがとう』、わからないときは『教えていただけますか』という姿勢でやってきました」。
素直だから、いまがある
結婚して5年間子どもが授からなかった時や、流産でつらい思いをした時も乗り越えてきた。「母の苦労に比べたら、私なんかと思えて我慢できました。京都では長男が絶対という家のしきたりの中で、次男である父に嫁いだ母の苦労を見て育ちましたから。母は父との結婚を許されるまでに10年かかり、流産を2回経験した時も、周りから母に問題があるような言われ方をしたそうです。それでもいつも明るく優しくて、厳しかった祖母を最後まで介護したのも母でした」。
いちばんの目標にしていた母も73歳で亡くなった。病気がわかったときは余命3か月。最後の時間をいっしょに過ごしながら、母がたどってきた人生を知った。母は自分が我慢しているつもりはなく、人に尽くすことが使命だと思っていた。三田さんもかくありたいと思っている。
ボクと彼女との共通項は、互いに京都生まれということ。幼いころは、引っ込み思案で内弁慶というのもおんなじだ。両親や祖母の躾が厳しかったというのも似ている。なのに、彼女は素直。そのおかげでいまがあると思えている。いつまでたっても素直になれないボクと、そこが違う。
「天然」という言われ方もするが、ボクは「素直」ということばが適当だと思った。学生時代も、芸能界に入ってからも、梨園に嫁してからも、縁に恵まれている。みんなが手を差し伸べてくれる。「素直」が功を奏している。
三男が20歳になると、三田さんは55歳。そのとき、「三田寛子」としての活動も新展開を見せるかもしれない。それまでは、芝翫夫人と、3人の子の母と、三田寛子のバランスをうまくとりながら、素直をモットーに歩んでいくのだろう。
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