「喧嘩ばかりしていたイメージで語られていますが、そうでもないんですよ。大勢の人に自分を知ってもらうためにやっていた部分もあります。売名行為というより、アピールですね。何かに反発していることもなく、学校も好きで楽しかったし、家族もみんな仲がよかった。うちは漬物店をやっていたので、母親が夕飯の支度をするときは、子どもたちで店の片づけを手伝うのが当たり前でした。外でやんちゃしていても、六時になったら戻っていました」
父は海軍の教官だったのに、戦時中には珍しく、教え子を殴ったことがないという。
だが、赤井さんは、一度だけ父に殴られたことがある。高校一年くらいのとき、遊んで夜中に帰ったら、いつもは寝ているはずの父がそこにいた。
「お母ちゃんはお前が帰ってくるまで心配で寝られへんのや」というので、「だからいつも先に寝とけといってるやないかい」と言い返したら、「わしはお母ちゃんが大事なんや!そのお母ちゃんを悲しませる奴はいらんのじゃ。出てけ!」と殴られた。
母は、ボクサーになることに大反対していたのに、赤井さんの新聞記事を全部スクラップしていた。「実家にはポスターやらトロフィーなどが部屋中に飾られていて、赤井英和記念館みたいになっていますわ(笑)」。
赤井家は、二代に渡って、家族の絆が強く結ばれている。
役者として大切にしていること
役者になるきっかけとなったのは、阪本順治監督との出会いだ。
阪本監督がメガホンをとった映画『どついたるねん』の主役を赤井さん自身が務めたことで、役者としての今がある。ケガをしてボクサーとしての道を断たれた頃だったから、その出会いがなければ目標を失ったまま自暴自棄になっていたかもしれない。
だから若い人たちには「最悪のピンチやと思っても、あとから考えたらあれはチャンスやったとわかる。ピンチはチャンスなんや」と教えている。
「日々、いろいろな人に出会ってきたことが自分の財産だと思っています。だから一日経つごとに財産も増えていきます。今日、こうして村上さんとお会いしたことで、また懐が深くなったような気がします」と嬉しいことを言ってくれた。
どんな質問にも、真摯に丁寧な口調で答えてくれる。はぐらかさない。つくづく大真面目な人なのだと感じた。台本も、何度も読み返し、人のセリフもノートに書いて覚え、自分のセリフの言い回しを考える。
台本には、その人の限られた部分しか書かれていないが、そこに至るまでの人生をイメージして膨らませる努力をしている。
無骨だが、一生懸命に取り組む姿に惹かれる。
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