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スゴイ人なのに… |
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![]() 競輪の大ファンだった父の影響もあり、千葉県立八千代高校時代から競輪選手という職業を意識していた。スポーツ新聞に載っていた『自転車競技の経験がなくても競輪選手になれます』という広告を見たときに「これだ!」とひらめいた。 身長1メートル80、体重93キロ。中学、高校とバレーボールをやっていたので体力には自信があった。試験に無事合格し、1978年、43期生として日本競輪学校に入学した。 自転車競技の経験のなかった滝澤さんは入学後、それまでバレーボール向きに鍛えていた筋肉を自転車向きに造り変える必要に迫られ、「人より1時間でも1分でも長く」自転車に乗ることを心掛けた。この習慣はプロデビュー後も続き、自転車に長時間乗るという練習方法を徹底的に実践した。若手時代には1日の練習時間は最低8時間、走破距離は200qに及んだ。 滝澤さんは、1980年、初出場のオールスター競輪で準決勝に進み、一流選手の仲間入りを果たした。しかし、滝澤さんの前には、大きな壁が立ちはだかっていた。 当時の競輪界は中野浩一選手の全盛期だったのだ。レースで、滝澤さんが先行しても中野選手には、まったく通用せず敗れ続けた。 しかし1984年の日本選手権競輪でデビュー5年目にして、ついに中野選手を破り、初タイトルを手に入れた。優勝インタビューでは感極まって落涙し、言葉にならず叫ぶように「競輪選手になってよかった」と言うのがやっとだった。 その後も、滝澤さんは、ますますその脚力に磨きをかけ、タイトルを量産していった。特に1987年、その年の獲得賞金額1億1400万円は、当時プロ野球最高年俸の落合博満を抜いて全プロスポーツ界最高の金額であった。 |
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2008年7月1日からS級からA級への降格が決まり、滝澤さんは「A級に下がってまで走り続けるつもりはない」と、降級を待たずして現役を引退することを決意した。 夢を適える手伝い |
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■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画教室開講中 |
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