ラジオと新聞
僕が清水さんに最初にお会いしたのは、ラジオ番組だった。昔からラジオが好き。家のいたるところに置いて、お風呂でも聞いているそうだ。ボクの番組の熱心なリスナーでもあった。「村上さんはさわやかで朝の番組にふさわしく、お人柄が出ていましたね。でもときどき、村上さんご自身は笑っていても、本当はちょっと腹を立てているみたいと感じることもありましたよ」ラジオリスナーは耳が鋭い。
清水さんは、料理番組に出演するようになってから、正確な日本語を学ぶためにアナウンス学校に通ったことがある。兄から「フランスの料理家はテレビに出るようになると、話し方の学校に通って言葉の勉強もしている」と聞いて、私もきちんとした日本語で料理を伝えたいと思った。アナウンス学校では先生に放送局のアナウンサーにならないかと誘われたこともあるそうだ。
新聞もなめるように読む。世の中の情報にアンテナを張って脳を活性化させていることも若さを保つ秘訣なのだろう。
料理の記事は切り抜いて、料理事典の関連するページに挟んでいる。昔の黄ばんだ新聞記事がたくさん挟んである。その事典は、料理研究家になったとき、母がお祝いにと買ってくれたものだ。昔はパソコンですぐ調べられる時代ではなかったので、料理編集者から「あの料理事典で調べていただけますか」と電話がかかることもあった。自分なりに内容を補足してきたこの事典は、一生の宝物だ。僕の母も同じようなことをやっていた。まだテレビの録画などできない時代だったので、料理番組を見てはノートに書き込み、料理の新聞記事も切り抜いていた。それを毎日、家族のために作ってくれていた。僕にとっては、そのすべてがおふくろの味。清水さんがNHKの「きょうの料理」で作ってきた料理も、僕にとってはおふくろの味なのだ。
ひとり力
25年前、清水さんがNHK「きょうの料理」で初めておせち料理を担当することになったとき、重い病の床にあった夫は、病床ですごく喜んでくれた。当時、「きょうの料理」でおせちを担当するのは、料理研究家にとってステイタスだったからだ。
でも結局、夫は放送を見られなかった。入院先の三重県四日市から、遺骨を抱いて東京に戻る途中、電車の車内で「きょうの料理」のテキストの吊り広告が目に入って、「ああ、一緒に放送を見ることができなかった」と涙があふれた。
夫が亡くなってしばらくは、夫ロス≠フ状態が続いた。五年くらいは立ち直れずにいた。街で家族連れを見るのも嫌だった。だが、仕事に救われた。一日中動き回り、疲れて寝てしまう日々を送っているうちに気持ちも回復してきた。
少しずつ「ひとり力」をつけていった。一人だとどうしても話すことや笑うことが少なくなって、表情がなくなってしまうから、声に出して文章を読んだり、一人百面相をしたりしている。朝はとくに声が出にくくなっているので、顔をこすりながら発声練習をする。商店街を通るときは、店の人がこちらを見ていなくても元気な声で挨拶をする。清水さんの話し方や声はいつも明るくて、気持ちが温かくなる。
とにかく丁寧な人だ。清水さんはこまめに電話をかける。直接話したほうが、意思が伝わりやすいからだ。今回も、対談日の前日「よろしくお願いします」、翌日「ありがとうございました」と電話があった。真心込めて、丁寧に生きるのが、この人の信条だ。
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