やぎりんが『広い河の岸辺』の楽譜を初めて見たのは、2006年。シンプルだけど説得力を秘めた旋律。出来る限り原詞に忠実な訳詞でその魂を日本人に伝えたいと思った。
2010年1月1日、一気に訳詞は完成した。不思議な高揚感があった。
ふだん詩心のない自分に、詩人の魂が舞い降りてきたようにスラスラと5分で訳詞が完成したのは、やぎりんの置かれている状況にこの歌詞があまりにもぴったりだったからかもしれない。
順風満帆で思い通りの人生を生きている人はいないはずだ。だからこそ、自分の心に近い人を無意識に求めるのだろう。誰もが広い河の岸辺に立って小舟を探し、小舟の同乗者を求める。この歌は、人生と真剣に向き合って生きる人、困難につきあたって悩む人の心に寄り添う歌になるという確信があった。
被災地での岸辺探し
『広い河の岸辺』は、東北の被災地でも反響を呼んでいる。
「沈み方も泳ぎ方も知らない」絶望的な状況で広い河の岸辺に立ち尽くし、小舟すらなくて、それでもかすかな望みがあるとしたら…そういう歌詞に共感してもらえるのかもしれない。
やぎりんは、早くから被災地を訪問している。最初は、2011年5月30日と31日の2日間で、岩手県山田町、宮古市、大槌町、陸前高田市の合計10か所の避難所をまわって演奏した。
『広い河の岸辺』は、このころ誰も知らない曲だった。この歌のイントロを吹きながら、やぎりんは、移動の途中、各地で目にした惨状を思い出していた。津波によって奪われた、暮らし、夢、そしていのち。避難所の方々はその当事者であり、大切な何かを失っている。渡りたくても橋がない広い河の岸辺に立ちすくんでいるような心境なのだろうと想像した。
歌い出しの「河は広く 渡れない 飛んで行く 翼もない」
絶望感を表現したようなこのフレーズは、すべてを失った方々の心にそっと寄り添うことができる言葉なのではないか、そんな気がしていた。ほとんどのものを失った絶望感に、行く手も全く見えない不安感が重なって呆然としている人たちに、いきなり励ましの言葉はそぐわない。希望を見失いつつある人の心にそっと寄り添う言葉。初めて聴く歌でも、これならきっとここで受け入れてもらえるだろうと思った。
メロディはシンプルで、歌詞のフレーズは俳句のように短いので、一度聴いただけで、ほとんどの人が一緒に唄ってくれた。最初は小さかった声も四番の歌詞になるころには、避難所いっぱいに響くような声の重なりになっていった。
「もしも小舟が あるならば 漕ぎ出そう ふたりで」 四番の歌詞を大きな声で唄う避難所の方々に出会って、やぎりんは再認識した。「この歌には、ぼくの想像をはるかに超えた力がある」と。
岸辺が見えてきた…
やぎりんには、家庭人として無責任な道を選んでしまったという自戒の念がある。このような生き方は人間失格だとわかっていても不器用にしか生きられないのも自分の現実だった。
だが、一度失格の生き方をしても、その後の生き方次第で取り返しがつくこともあるのではないか。生涯「ダメ人間」の烙印を押されたまま生きるのではないと思いたい。妻子につらい思いをさせてしまった罪を償おうとする自分の想いを、より良い人生を創るエネルギーにしていかなくてはならない。家族一緒にまた暮らせることを目標にして生きている。
やぎりんは、少し人生の泳ぎ方がわかり、広い河の岸辺が見えてきたような気がしている。
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