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おかげさまで、ちたろまんの連載が200回を迎えた。平成10年11月から17年間にわたる。依頼を受けたとき、軽い気持ちで引き受けたのだが、こんなに長期連載になるとは思いもしなかった。 |
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丁寧に生きた人母・村上たづ子は、昭和5年京都に生まれた。若いころの写真を見ると、我が母ながら、長身の美人だ。父が惚れたのがよくわかる。 母が亡くなった夜、遺品の中に、父から届いた恋文が数十通あることが判明した。戦後まもなく、信州上田と京都と離れていた時期があり、父は、何度も手紙を書いていたのだ。 そこには、会えない切なさが綴られている。母からの返事を待ち焦がれている様子が見て取れる。「この手紙を読んではならない」という書き出しで始まる恋文は秀逸だ。「読んではならないというのにまだ読んでいますね…もう読むのがやめられなくなりましたね…とうとう最後まで読んでしまいましたね。僕はあなたが大好きです」息子のボクが読んでいても顔から火が出そうだが、一途な想いが母の心をとらえたのだろう。そのおかげで、ボクが存在している。 母は、丁寧に丁寧に生きた人だった。特に、料理には手をかけた。料理番組が始まると、一言も聞き洩らさないようにして、大学ノートにメモを取っていた。手を変え品を変え、献立を考え、毎日の食卓に美味しい料理を並べてくれた。ボクにとって「おふくろの味」は一つに絞りきれない。 |
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スーパーの売り場で、ちくわが目にとまったことがある。母は、歯が丈夫でなかったので、ちくわやはんぺんを好んで食べていた。頼まれて買い物に行ったものの、「ご指定のちくわ」でないと取り替えに行かされたこともある。母の「ご指定のちくわ」を見かけた瞬間、熱いものがこみあげてきた。スーパーでちくわを見て泣いている男など、どこにもいまい。 寄り添うことば |
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| ■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画教室開講中 |
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