そこまで自分を追い込んだことが、花開く結果に繋がった。「一番大きな舞台で、私にはありえないと思った賞をいただけて光栄でした」。
だが、ここで浮かれないのが諏訪内さん。まだ自分の地盤もできていなかったので、まずは留学しようと決めた。その時点では、ヨーロッパは伝統文化が少し重く感じられたので、留学先はニューヨークのジュリアード音楽院にした。アメリカでは音楽の勉強だけでなく、コロンビア大学で政治思想の勉強もした。音楽一辺倒でない、このときの経験が、自分の視野を広げてくれ、大いに役立っている。何でも徹底的に追求するストイックな性質のようだ。
アメリカで学んだあとは、ドイツの国立ベルリン芸術大学で学び、日本に戻らないまま、いまはパリに住んでいる。もうどこの国の人かわからない「地球人」という感じだ。
フランスでも、勉強熱心さは続く。フランス料理のソースの作り方を知りたくて、プロの料理人を養成する料理学校に通った。土日を除き一日10時間、100種類の料理を覚えた。ここでも、ストイック。やりはじめたら、とことん突き詰めなければ気が済まない。「舌ビラメは牛乳に漬けて臭みを取ってから焼くとか、肉を焼いて出た肉汁をソースに加えると味が全然違ってくるとか…。知らないことを知るのって、楽しいんですよ。もっと知りたいという気持ちがあるから、勉強もヴァイオリンも、きっと苦にならないんですね」。
日本に恩返し
海外生活が長いと、日本人であることを強く意識するようになるという。諏訪内さんも日本に何かお返ししたいという気持ちが強くなってきた。
『国際音楽祭NIPPON』を発案して芸術監督を務めることになった。この音楽祭は今年で3回目を迎える。柱は、被災地支援だが、現代の作曲家に委嘱した作品も紹介する。「現代の作品を世に送り出していくことも、私の一つの役目かなと思っています。現代の作品をお披露目することで、それが未来に残る曲となるかもしれませんよね。私はモーツァルトと対話することは出来ませんが、現代作曲家とは対話も出来るし理解もしやすい。作品を初演する責任感と緊張感はありますが、やりがいはあります」。
「0歳児から聴くコンサート」や、若い世代を指導する「公開マスターコース」を行うのも、次世代を育てることを意識している。「私は3歳のときに巨匠のヴァイオリン演奏会を聴いて、体中に衝撃を受けました。たくさんのことを吸収する時期に、音楽の魅力を体験する機会を多く作りたいという気持ちがあるんです」「子どもたちは、ポイントを教えるだけで劇的に変わります。指導者は、的確なアドバイスで生徒が自信をもてるような後押しをしていくことが大事ですね」。
「自信は自分が過ごした時間から生まれるもの。同じことを何度も繰り返しやっていると、あるときパッと開ける瞬間がある。それを見つけるために、日々の積み重ねを揺るがすことはない」と諏訪内さんは、きっぱり言い切る。イチローもそうだが、すべては日々の積み重ねの上にあるのだと感心する。
諏訪内さんは、20年前も凛として自分を崩さず、ブレない女性という印象だった。20年たっても、基本的には変わっていない。それを指摘すると、「本来の自分は違うんですよ。若くして周囲から注目を浴びる立場になったので、鎧をまとって自分を守るしかなかったんです。でも歳を重ねて融通がきくようになり、自分でも人間が丸くなったなと思いますよ」と、にこやかにほほ笑んだ。
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