ただ、ピアニストになってからも、殻から抜け出せないでいた。所属していた事務所の決められた枠にはめられていた。あげく、その事務所から契約解除という手痛い通告を受け、人が信じられないようになり、長いトンネルに入ったこともあった。離れていった人もいたが、心が萎えた西村さんを支えてくれた人もいた。トンネルにいるとき、自分だけでは生きることが出来ない、人の縁があってこその自分だと再認識出来た。萎れた花に自分で水をやりながら、西村さんは、ひと皮むけた。
ライフワークとして、学校や病院でのコンサートを全国各地で精力的に行っている。
例えば学校だと、体育館のフロアにピアノを下ろし、子ども達にピアノを半円で囲むように座ってもらう。ピアノで「肉じゃが」や「うどん」などを表現するメロディーを弾き、給食のおかず当てクイズをしてみるなど、音楽に親しんでもらういろいろな試みをしている。
名曲を聞かせたり、テクニックを見せたりするのではなく、1音1音がいとおしかったり、音が出るということ自体が楽しかったり、哀しく聞こえたり嬉しく聞こえたりしてくる…そういうことを感じてほしいと取り組んでいる。
そういう試みを通して、西村さんは得たことがある。ドと1音弾いただけで、聴いた人が泣ける音楽。そこに思いが凝縮され、温かさや心地よさとなって伝わる音楽。子どもたちに接しながら気づかせてもらった。
家族の再生
母が病気で倒れ、離婚していた父が看病したことをきっかけに、両親も再婚した。
最近、両親の出身地である種子島に、よく足を運ぶ。種子島中・高校の校歌も作曲した。
祖父は、初代の西表市市長だ。先祖のお墓参りをする。
コンサートを開くと、会場に父の姿を見かけることがある。あれだけ厳しく接してきた父も、自分の音楽を認めてくれたようだ。
弟がマネージャーになった。自分のいちばんの理解者である家族の結びつきが強くなり、西村さんの憂いも晴れた。彼女が大きく変化した理由はそこにあるようだ。これから生みだされる音楽にも変化がありそうだ。
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