「ゲストの人生がわかる記事や本を読んで、最低限の知識をもって対談に臨みますが、どの記事よりもさらに深い部分を聞いてみようと思います。やっぱり思っていた通りの人となるより、この人にはこんな一面もあるのか!と意外性を見つけたときは、嬉しくなるんです」。
ムラカミの本音
その阿川さん、ぼくに、「どうして五八歳にもなってNHK をやめたの?」とするどく切り込んできた。
「一言でいうなら自分で潮時だと。新しい自分に出会いたかったんでしょうね。三五年間NHKという組織の中では自由にやってきたけど、そろそろ限界かなと思って」と答えると、「こう言っちゃなんですけど、男の人がフリーになろうと考えるのはだいたい四五歳くらいでしょう。ちょっと遅くないですか(笑)四五歳くらいならまだ十分エネルギーもあるし、もうひと花を咲かせたいとか、第二の人生を考えるのはその年齢がギリギリじゃないかと思うんですよ」と追い討ちがきた。
「僕も四七歳くらいのときにやめようかなと考えたことはありますよ。でもラジオという面白い仕事に出会って思いとどまれたのかもしれません」と折り合いをつけて言うと、まだ納得しない。「あとわずかで定年なのにもう少し我慢して勤めあげようとは考えなかったんですか」。
たじろぎながら、「NHK という看板を背負って仕事をしたいと思えば、そういう選択をしたと思います。僕がやめると言ったら、ほとんどの人が『なんで?』と聞いてきましたけど…。でも、一人だけ『おめでとうございます』と言ってくれたのが、有働由美子アナウンサーなんですよ。有働くんは、僕が『おはよう日本』で最初に組んだパートナーですが、今まで一緒に仕事をしてきたパートナーの中で最も優れた人だといっても過言ではありません」と、話そうと予期していないことまで、知らず知らずのうちに飛び出してきた。
「一番印象深かったのは、阪神淡路大震災が発生した時。正確な情報がつかめない状況の中、スタッフも右往左往していて、なぐり書きの原稿を読む僕の横でしっかりフォローをしてくれたのが有働くんでした。間違っていると首を振ったり、大丈夫ならうなずいたり、今必要だと思われる情報の原稿をさっと出してくれたんです。サッカーでいえば名アシストという感じでしょうか。あのときは入社三年目だったのかな」。と述懐すると、「有働さんから新しい門出を祝福されて初めて、ご自分も『めでたいことなんだ』と認識したわけね。村上さんはNHKをやめて、自由になったことを楽しんでいらっしゃる感じね」とまとめてくれた。
それで、ほっとして、ふと気が緩んでいるところへ、「今までは、自分も言いたいことがあると思っても全部殺してきたんじゃない?」と聞かれ、「自分の意見を言っちゃいけないことが多かったですからね」とつい本音を出した。
「今はそのマグマが爆発していらっしゃるとお見受けいたしますわ(笑)」。
おっしゃる通りです。阿川さん。
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