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横浜が私の魂 |
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1956年、台湾出身の父と、日本人の母との間に生まれた。親類も一緒の大家族で育った。みんなそれぞれ商売をしていたので、いろんな人が常に出入りする家で育ったせいか、人見知りしない子だった。高校生のころ、「浜のマリア」と呼ばれていた。生活習慣は、日本の友人たちとは異なった。誕生日といえばソーメンとゆで卵。「周りの友人たちはケーキで祝ってもらえるのに、ガッカリしたもの(笑)」。細く長く、角を立てず丸くおさまるようにという願いが込められていた。特別な日に食べるものはその意味合いが重視されていた。昔からのしきたりや言い伝えを大切にしていた。 先祖もすごく大事にしていた。「私も幼い頃から、祈るという習慣が身についていて、今でも毎朝ご先祖さまのお仏壇に手を合わせ、帰宅したときもまっ先にお参りします。先祖の誰一人欠けても自分は存在しないと思うので、先祖を敬うのは自分自身を戒めることでもあるんです」。 平坦ではなかった役者道 |
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1976年、「自由劇場」というアングラ小劇場に入った。70年代のアングラ劇団には風変わりな人がたくさんいた。殺人鬼の心情を理解するために生き物を殺してみたり、棺おけに入ってみたりする人もいた。「ブス!デブ!死ね!」となじられ、人格否定は日常茶飯事だった。そんな中、仲間たちとジャズ喫茶にたむろして演劇論を戦わせるのが楽しかった。 ずっと前からその人 余談だが、対談を終えて帰りがけ、真っ先にエレベーターホールに飛んで行き、ボタンを押してエレベーターを呼び、何度もおじぎをしながら見送ってくれた。この気働きに、人柄の良さが滲み出ている。 |
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| ■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画教室開講中 |
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