1976年、「自由劇場」というアングラ小劇場に入った。70年代のアングラ劇団には風変わりな人がたくさんいた。殺人鬼の心情を理解するために生き物を殺してみたり、棺おけに入ってみたりする人もいた。「ブス!デブ!死ね!」となじられ、人格否定は日常茶飯事だった。そんな中、仲間たちとジャズ喫茶にたむろして演劇論を戦わせるのが楽しかった。
1986年、仲間たちと劇団「東京壱組」を旗揚げする。劇団を立ち上げたものの、仕事は全く無かった。とにかく貧乏だった。仕事を取るためにプロダクションを設立した。自分たちでデモテープを作って、テレビ局に売り込みに行った。間借りしているプロダクション同士で、仕事のやりくりをしていた。そうこうしているうちに、今の事務所の社長の目にとまり、ようやく映画出演のチャンスを手にしたのだった。
映画のオファーが舞い込むようになってからの活躍は目覚しい。『学校L』でブルーリボン助演女優賞、『兄弟』でギャラクシー個人賞、『ホテルハイビスカス』でヨコハマ映画祭助演女優賞、『おくりびと』で日本アカデミー賞助演女優賞、『ディア・ドクター』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞…個性的な映画監督との出会いによって触発され、演技を磨くことが出来た。
女優に開眼したと感じたのはいつかと問うと、「まだ開眼していない。役者としての自分に対する疑問は常につきまとっている」という答えが返ってきた。「だめだぁ〜」が口癖で、おおらかに見えるが、意外に心配性でもあるようだ。
ずっと前からその人
それにしても、底抜けの明るさから、底なしの暗さまで。包み込むような優しさから近寄りがたいこわもてまで。殺人犯から陽気なシングルマザーまで。妖艶な美女から化粧気のない市井の女性まで。あらゆるタイプの女性の人生を演じ分けている。
違う人間を演じるおもしろさが俳優の魅力とはいえ、余さんはどの役になっても、かりそめにその役をやっているのではなく、ずっと前から「その人」だったように感じさせる。
「演じる時は、私とはまったく異なる人になるので、その人のことについて深く考えます。でも違う人になるというのは楽しいものです。人間というのは謎だらけで、人間そのものに興味があるからやってこられたのかもしれません」。
余談だが、対談を終えて帰りがけ、真っ先にエレベーターホールに飛んで行き、ボタンを押してエレベーターを呼び、何度もおじぎをしながら見送ってくれた。この気働きに、人柄の良さが滲み出ている。
有り余る才能をあるように見せない余裕。余人をもって変えがたい役柄が多い。話題も豊富で、持て余すことがない。余りにもときめくことが多い。それが余さんの余さんたるゆえんだ。
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