『釈迦内柩唄』を観た後、にわかに大学受験を諦め、自分が感動した役者に挑戦してみたいと方向転換した。俳優座の研究生になった。
『ミラノの奇蹟』という舞台がターニングポイントになった。与えられた役は銅像だった。舞台上で1時間立ったまま。奇跡が起きて、銅像は動くのだが、役作りをしない役作りに気づいた。
俳優になって9年で、念願の『釈迦内柩唄』のふじ子役がやってきた。だが、この役は、心の奥底を開かないと演じられない。舞台で死んでもいいというぐらいの覚悟がいる。まさに必死の思いで食らいついた。ひとたび、舞台にたつと、釈迦内のふじ子の形相に入れ替わる。
この役を演じるに当たって、原作者の水上勉さんに、一度会いたくて、自宅に電話をかけたが、不機嫌な応答だった。そこで毎日手紙を書き続けたが、「字が小さすぎて読めないから、パソコンのメールにしてくれ」と言われた。しかもパソコンの機種まで指定された。仕方なく30万円借金して購入し、パソコンも一から勉強した。
それでようやく「一度おいで」と声をかけられた。長野県の北御牧村の自宅に伺い、料理とビールを御馳走になった。その後、水上勉さんから届いた手紙には、「作者が書かぬことを知る役者を得たことを喜びます。舞台の終幕にはコスモスが見えました」とあった。
母の背中
この芝居を演じる上で、行動を起こそうとしたことが、思わぬ人生の展開を呼ぶ。
戦争を知らない自分がこの芝居をやっていいのかという疑問から、イラクに行ってボランティア活動をしようと思った。高遠菜穂子さんのボランティア活動を実際に見てみたいと思った。イラクに出発する予定の5日前にあの事件が起きた。2004年のイラク人質事件。
今度は、救援活動に参加するなかで、カメラマンの郡山総一郎さんと知り合った。郡山さんの撮影した貧困と紛争の中に生きる子どもの写真を見て、子どもたちの瞳がふじ子に重なった。
そして、ご本人曰く、成り行きで結婚。2005年には長男、陸くん誕生。出産1ケ月後からは、舞台に復帰した。泣きすがる我が子を置いて、母親として後ろ髪を引かれぬわけがない。「それでも舞台に立つのか」と毎回、自問自答する。「ふじ子の役なら、陸は許してくれるに違いない」と自分を鼓舞しながら舞台に立つ。陸くんには「母の背中をみて育ってほしい」と思っている。
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