紛争地域だということを知らずに行ったのだ。ゲリラ兵に村を襲撃され、血だらけで「助けて」と泣き叫ぶ子どもがいても、どうすることもできなかった。そんなアフリカの状況を、大好きなカメラで撮影して多くの人に伝えたい。それが、戦場カメラマンになった、きっかけだった。
学生時代から日記を書いていた。最初は大学手帳に、毎日、その日の出来事や印象に残ったことを書きとめていた。今では、重さ8キロ。米俵のようになってしまった巨大な日記帳を、戦場にも持参している。これは日記でもあり、取材記録の作品でもある。現地の閉ざされた環境で、ろうそくの灯りを頼りに活字を記していくと、ノミで文字を刻みこんでいくように、記憶に刻みこまれて忘れないものなのだろう。
「カメラマンとして、何かの壁にぶつかったときや、戦場で気持ちがグラついているときなど、過去に自分が書き記した言葉を読んで、初心に戻ったり、ハッとさせられることがたびたびある」という。
いつかは学校カメラマンに
渡部さんは、世界130を超える国を訪ねている。そのほとんどが、紛争地や戦禍に見舞われた地域だ。なぜ戦場にこだわるのか尋ねてみた。
「僕は世界中の紛争地をまわりながら、驚いたことがあります。それは、戦場という極限状況のなかでも、家族が普通に生活していて、笑顔を浮かべる瞬間があることでした。僕の取材スタンスは、一つ屋根の下で何カ月も生活をともにする、いわゆる密着取材型ですが、戦場でも、私たち日本の家族と変わらない、日常の生活風景があります。戦禍に生きる子どもたちや家族の肖像を、多くの人に伝えるための、戦場カメラマンでありたいと、思っています」。
最近、男の子の父親になった。世界を駆け回る渡部さんらしく「世海」と名付けた。ファインダーごしに見る子どもたちを見る目も変わった。「子どもたちの横にいる同世代の親たちに、気持ちが入りこんでしまいます。それと、家に早く帰りたいと思うようになり、今までより取材期間を短くするかわり、過去の人脈や情報網を駆使して、深い取材を行うようになりました」と笑う。
いずれ、戦場カメラマンの仕事がなくなり、学校カメラマンになることが夢だ。戦争がなくなり、世界中の学校を駆け回り、子どもたちの笑顔を撮影したい。
ゆっくりはラジオ向き
渡部さんはこの4月からラジオ番組のパーソナリティ(ニッポン放送『勇気のラジオ』)を務めている。タイトル通り、自然と勇気がわいてくるような番組だ。ゆっくりとした、噛んで含める口調はラジオに合っている。ラジオは傍らにいて黙ってうなずくような、やさしく寄り添う存在だと思うが、渡部さんの独特の間合いは、まさにそれだ。
「僕は昔からラジオ大好き人間で、戦場にも持っていきます。戦場では誰もが、ラジオで避難情報を聴いてライフラインにしているんです。放送する立場になると難しいけど、ゆっくり考えながらやります」。いつか、ラジオで、共演してみたい。
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