すごいものは、忘れられない。好きになるものだ。展覧会に行って、100点の作品が展示されていたら、100点を全て見なければならないと思う人がいる。そんなことはない。自分の心に引っかかった作品を見つけ、それをじっくり見るだけでいい。見ていると、その作品と対話できるようになる。好きな物であれば、言葉を尽くさなくても心を通わすことが出来る。
無言のうちに推し量る、感じ取る・・・忖度(そんたく)するということを安宅さんから教えられた。伊藤さんは、「いまはおかゆ文化になってしまった」と嘆く。何でも噛み砕いて教え過ぎる。何でも理詰めで考え過ぎる。「わからない」と言えることはすごいことなのだ。
結局、骨董修行とは、自分の感性を磨き、自分でつかむものなのだ。「安宅さんは、私を追い込んで、自らの道を探らせようとしていたのだろう」と伊藤さんは振り返る。『何でも、一流のものを見聞きしなさい』と、コンサートやオペラ鑑賞、能や歌舞伎、バレエ鑑賞などに連れていってくれた。芸術家や趣味人との骨董談義にも加えてもらい、そうしたことの全てが、美術品を見る肥やしになった。
そして、安宅さんに命じられるまま、古美術品の買い付けに駆け回った。韓国や中国に何度も赴いた。大金を抱えながら、美術商と互いに一世一代のやりとり。修羅場を幾度も潜り抜けた。
幸福な修業
安宅産業は、昭和52年(1977年)に、石油事業の破綻から崩壊に追い込まれる。伊藤さんの骨董修行はそれまで続いたと言える。安宅産業が経営破綻した後、そのコレクションが散逸することを惜しむ声が各方面から上がり、多くの政財界人たちが知恵を絞った結果、住友グループ21社が協力し資金を出し、大阪市に寄贈するという形で30年前に美術館がオープンしたのだ。
会社の崩壊と共に、伊藤さんもサラリーマン生活に終止符を打ったが、その5年後、大阪市立東洋陶磁美術館が開館し、館長に就任した。50歳の時だった。
安宅さんからも『あとは、頼みましたよ』と言われ、大きな責任を感じた。「毎日、作品に囲まれていると、いつも、安宅さんに『しっかりしろ』と言われているような気がして、上司が安宅さんから美術品に代わっただけ」と笑う。
安宅さんが収集に及んだのは、個人的に美術品が好きだっただけでなく、「社員が美術や文化に触れることで、社員の教養を高め、精神的にも豊かな生活をして欲しいという気持ちがあったようだ」。その恩恵に、最も浴したのが伊藤さんだったかもしれない。伊藤さん自身も自らを「世界で一番幸福なサラリーマンだった」と思っている。
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