おかあちゃんからもらった言葉の数々は、今もジュンコさんを励まし、叱り、時には優しく包んでくれる。
おかあちゃんが事あるごとに口にしていた言葉に、『人生、これからや!』がある。80代くらいから、よく言っていた。何でも、見たい、行きたい、食べたい!
『向こう岸、見ているだけでは渡れない』とも言っていた。向こう岸には何があるのかと、まずは好奇心を持つこと。そして「いつか渡ってみたい」と求め続けること。渡るためには、知恵と工夫を重ね、準備をしておくことだ。
ジュンコさんが団長を務める神楽坂女声合唱団に、おかあちゃんは、90歳で入団。月2回、岸和田から東京まで練習に通っていた。
『好き心(すきごころ)がはじまり』おかあちゃんは、幼いころミシンに憧れて、ついに一生の仕事にした。幼いころ、ジュンコさんは、「おかあちゃん」のお店にごろごろ転がっていた生地を巻く「巻板」を使った遊びが大好きだった。それを使ってのお店ごっこが、ジュンコデザインの原点かもしれない。
なんでもかんでも、うまくこなそうとしなくてもいい。ひとつ自分の好きなことだけに的を絞って集中すれば道は開く。食わずぎらいはアカン。何事もまずはやってみることだと教えられた。
『人はそれぞれ自己流がええねん』この言葉は、一生を通じて、おかあちゃんの持論だった。見よう見まねで、洋服づくりを覚えて洋裁店の先駆者になった。正真正銘の自己流の人だが、自分勝手に何でもやるという意味ではない。基本を学び、技術を身につけてのこと。おかあちゃんは勉強家だった。
『もらうより与えるほうが得やで』どんな人にも見返りを期待せず、人が喜ぶ顔見たさでサービスするのが、おかあちゃん。ギブ&ギブ。その精神を自分も受け継いでいる。人にしてもらうより、してあげるほうが、自分の幸せにつながる。
聖書にも「汝の隣人を愛せよ」とある。三姉妹はすでに洗礼を受けていたが、後におかあちゃんも教会についてきて、「うちも受けるわ」と、唐突に洗礼を受けた。
晩年の3年間、おかあちゃんは毎日欠かさず、日記をつけていた。その中に「受くるより、与うるが幸いなり」とあった。おかあちゃんが亡くなってからも、お礼に来る人が後を絶たない。
日記には、『人間、死ぬにも頃合いがある』とも記していた。人間、期限が切れたら、そのときが完成。ジュンコさんも、頃合いが来るまで、精一杯、ガンバルつもりだ。誰にも看取らせず一人で死んだおかあちゃんの生き方も死に方も真似たいものだ。
過去は過去。昔は昔。いちいち喜びや成功に浸っていたら、次の1歩が遅れてしまう。いつも新たなスタートラインを追い続けていた。
大切なのは、「いま」と「これから」。過去のことを言い出すのはおかあちゃんが一番キライなことだった。思い出に生きているのではない。いまを生きている!ジュンコさんも同感だ。「きょうの自分が一番若い」のだと思う。
おかあちゃんが、亡くなって2ケ月後に生まれた孫娘の名は、おかあちゃんの名から一字もらい「綾」。好奇心の固まりで、おかあちゃんそっくりだ。甘いものより、しょっぱいものが好き。カラスミにも興味を示す。重い荷物を持っても「軽いよ」と意地を張る。そして、「大きくなったら、ジュンコみたいな仕事する」とジュンコばあばを喜ばせる。
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