木原さんのおまじない
俳優としてスタートしたものの、鳴かず飛ばずだった。最初の7年間は、ほとんどセリフがなかった。セリフがくるようになってからは、悪役か三枚目。体が資本のオリンピック選手だったのに、ダンスもできない。周りはみな年下ばかり。正直焦りもあったが、「4年間は石にかじりついても続けよう」と思っていた。オリンピック周期の4年に慣れているから、藤本さんの場合は、石の上にも4年なのだ。
だが、オーディションはことごとく落とされた。苦しかった。悪いことは重なるもので、失恋もした。この時は3日3晩泣き続けるほど、落ち込んだ。
そんなどん底のときに出会ったのが、元オリンピック水泳選手でタレント活動をしていた木原光知子さんだった。俳優になってからは、水泳選手だったことを公にしないようにしていたが、木原さんに「君を育ててくれたのは水泳でしょ。水泳を大事にして生きていきなさいよ」とハッパをかけられた。「オリンピック選手」と言われることに、かたくなに抵抗感を示していたが、木原さんに「実績を表に出さないのはおかしい」と言われ、名乗るようになった。自分の原点である水泳に立ち返ったとき、自信が蘇ってきた。木原さんの水泳教室での指導を始め、木原さんが急逝した今も続けている。
木原さんは、よく色紙にこう書いた「よくなる よくなる どんどんよくなる これからよくなる ますますよくなる めちゃくちゃよくなる」自己暗示のように、今でもこの言葉を唱えている。そうしていると事態が好転しそうな気がしてくる。
『坂の上の雲』に大抜擢された。木原さんはその1週間前に亡くなり、直接の報告は叶わなかったが、ようやく役者人生に展望が開けてきたのも「ミミさんが背中を押してくれたから」のように思う。
広瀬武夫役に選ばれて最初は単純に嬉しかったが、人物像を知るにつれプレッシャーが増した。ロシア語を集中的に学び、台本に書かれた広瀬さんを演じることに集中した。
ロシア人の恋人との共演もあったが、美人女優の顔に見とれている余裕などなかった。
「日本代表として、ロシアの方々の中に入った気持ちだったので、とにかく自分の演技に必死だった」。だが、広瀬中佐を演じたことは、一生の宝になると思っている。
自分の出演するところは正座して見ている。第二部のラストで広瀬中佐は亡くなったが、今年12月放送の第3部が終わるまでは、自分の中の広瀬中佐は終わらない。
かあちゃんの教え
今年5月の母の日に、藤本さんは、初の朗読劇に挑んだ。作品は、重松清さん原作の「かあちゃん」。緊張の面持ちで臨んだ舞台で、朗読する脳裏には、母の美津子さんのことが思い浮かんでいたことに間違いはない。
小さい頃、ほめられたことはほとんどなかった。水泳で賞をとってもほめられない。
オリンピックに出場したときに初めて「よくやったね」と言われた。以来、4年おきに誉められている。2回のオリンピックと、四季で大きな役をもらったとき、そして『坂の上の雲』に抜擢されたときだ。
18歳で福岡から上京するときには、「関門海峡を渡ったからには一旗あげるまでは絶対に帰ってきなさんな!」と言われた。今でも藤本さん自身は、一旗あげられていないと思っている。自分も厳しい母と同じような思考回路で生きてきた。「だからまだまだ。母にはまだ胸を張って見せられない…、努力あるのみ」。自分に厳しい姿は、広瀬中佐に重なる。
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