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元プロボクサーの坂本博之さんは、世界王座に4回チャレンジした。世界チャンピオンにはなれなかったが、打たれても打たれても前に出るファイターで、強烈なパンチ力から平成のKOキングと呼ばれた。多くの人の記憶に残るボクサーだ。リング上では、多くのノックアウトをした坂本さんだが、人生の上では、強烈なパンチを何度も浴びた。ノックアウト寸前から、その都度立ち上がってきた。 |
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![]() 幼いころ児童養護施設にいた経験がある。 1970年12月30日、福岡県生まれ。物心つく前に両親が離婚し、母と1歳下の弟と暮らしていた。母が東京へ働きに出たため、知人の家に預けられたが、そこで虐待を受けた。いたたまれず、小学2年で、児童養護施設に保護を受けた。そこで、人のぬくもりを感じた。強きが弱きを守る世界だった。 その施設のテレビで、ボクシングを初めて見て、強い憧れをいだいた。「そちらの世界に行きたい!」と痛切に思った。 その後、母に引き取られ、東京へ行った。高校を卒業して、アルバイトで生活費を稼ぎながら、ボクシングジムへ通った。パンチは強かったが、不摂生な生活でスタミナがなかった。 1回目のプロテストは不合格だった。「それがかえってよかった。ボクシングにより真剣に向き合うきっかけになった」と振り返る。つきあっていた遊び友達とも決別、家を引っ越し、ジムも変えた。 91年12月14日。プロデビュー戦は、初回KO勝ちしてからは、とんとん拍子の活躍を見せた。93年には、全日本新人王。 そして、93年12月13日。12戦12勝(10KO)の戦績で、日本ライト級王座に挑戦し、見事、日本チャンピオンに輝いた。23歳の時だった。 96年には、東洋太平洋ライト級のチャンピオンになった。硬軟自在の技巧でポイントを重ねる華麗なボクシングに背を向け、KOするか、されるか、打たれても前に出るファイトが信条。昭和のKOキング、藤猛になぞらえて、平成のKOキングと呼ばれた。 そして、97年から2000年まで、4度世界王座に挑戦した。 初めの2回は判定負け。3度目は初回に2度のダウンを奪ったが、目の上を切り惜しくもTKO負け。4回目は日本人同士、畑山(はたけやま)隆則選手とのタイトルマッチ。壮絶な打ち合いの末、はじめてのKO負けを喫した。これは、伝説の試合として、語り継がれている。1度で諦める選手が多い中で、4度のチャレンジは異例中の異例だ。 |
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リングで苦しい闘いを続けている最中、家庭で、アクシデントが続いた。 「光」で心を青空に 人間には「光」と「影」の部分があるが、「光」を最大限、引き出したい。それは、大人の役割だ。どんなことがあってもあきらめてはいけない。たとえ、ノックアウトされても立ち上がれる力が人間にはある。自分の人生がそうであっただけに、この言葉に迫力がある。「明日から頑張ろうではダメなんだ。今、頑張らないと」。 |
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■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画教室開講中 |
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