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喜劇役者の伊東四朗さんといえば、てんぷくトリオ、おしんのおとう、笑うセールスマン、ベンジャミン伊東、伊東家の食卓のおとうさん…、伊東さんの半世紀におよぶ芸歴を振り返ると、シリアスからコメディーまで、いろんな顔が思い浮かぶ。 |
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![]() 朝起きると、その日の新聞を時間をかけて読む。「今」を知っておきたいからだ。仕事場でも、自分より若い人ばかりだが、孫ほどの年齢の若者からも吸収できることが多いと、若者たちとの会話も貴重な情報源にしている。「喜劇は、今の時代を反映するから、今に敏感でないといけない」。とにかく、何事もひたむきに、真面目に、「誠意」が座右の銘だ。 小林信彦さんの著書『日本の喜劇人』の中で、「最後の喜劇人」と呼ばれている。「うれしいけど面映いね。小林さんは、『舞台人』と『テレビ人』の区切りみたいなものをつけたかったんじゃないかな」。 戦後のストリップ劇場でやっていた『軽演劇』が消えてしまい、その後は喜劇人というより、テレビのコメディアンの時代になった。「そう言われれば確かに、舞台で喜劇をやっていたのは、自分や東八郎あたりで最後かな」。最後の喜劇人として、喜劇を守らねばならないという使命感がある。 その東京の喜劇「軽演劇」を伝えるべく立ち上げられたのが『伊東四朗一座』。その座長になったが、「本当は座長なんて柄じゃない。三宅裕司さんに伊東さんしかいないと言われやむなく引き受けたんだよ」。三宅裕司さんは、『東京の喜劇人?として憧れる役者が伊東さん』と言い切る。 三宅さん曰く、「伊東さんは、稽古に台本を持ってきたことがない」。本読みの日までに、台本を頭に入れてくる。台本を持たずに稽古する。「稽古の時、台本に目を落とさず、監督の目を見ていたいからね」。 セリフには忠実だ。表現を駆使して笑いを作る。ちょっとした振り向きのタイミング変えるだけで、ずいぶん印象が違う。セリフはいじらず、タイミングやしぐさで変えていく。そこには、アドリブはない。喜劇こそ台本に忠実に、真面目に?演じるものだという信念がある。「台本は作者が命がけで書いている。行間を読むのが、役者の仕事。役者がオーバーにやるのは、台本がよくないから。よい台本は、普通にしていたら笑える」。 |
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「相手のセリフは忘れるようにしている。次のセリフがわかった顔をしていると観客がしらけるから」。「ものすごく稽古したものを、全然やってないように見せるのがプロ」。伊東さんのこの言葉に、こちらはあいづちを打つのが精一杯だ。 伊東家の人々 これまでもプロデューサーやディレクターが、未知の自分に出会わせてくれた。今度は、誰が、「私も知らない私」を見つけてくれるのだろうかと、次の仕事が楽しみでならない。そのためには、老け込まないトレーニングを欠かさない。腹筋、腕立てふせ、ダンベルといった身体作り。記憶力を鍛えるために、百人一首、大リーグの全球団名、アメリカの全州の名前、円周率を1000ケタまで覚えることを繰り返している。それもすべて楽しみながら…。73歳の今も、まだまだ、新しい役柄の依頼が来るよう、引き出しを増やさないといけないと考えている。 |
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■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画教室開講中 |
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