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藍色の土に、漆喰で作った桜の花びらが舞う壁、満月が浮かぶ濃紺の壁… |
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![]() 挟土秀平(はさどしゅうへい)。土を挟み、鏝で平らにしていくわけだが、平らにすることに秀でる。まるで左官になるために生まれてきたような名前だ。 1962年、岐阜県・飛騨高山の生まれ。今年48歳の年男だ。父が左官職人だった。幼稚園の時には、すでに寄せ書きに「しゃかんになりたい」と書いていた。「親父の働く姿を見ていたし、自分は3人兄弟の長男。長男として父を助けなきゃという思いを持っていた」。 後を継ぐつもりで高山工業高校へ。卒業して、熊本の左官会社で修業を積んだ。21歳で、「技能五輪」という職人の技を競う全国大会の左官部門で優勝した。高卒で、左官歴わずか2年で優勝するというのは初めてのことだった。鼻高々、達成感に満ち溢れていたが、それがのちのちアダとなった。 その後、名古屋の会社に移ったが、他の会社の仕事の応援に回されるばかりだった。チャンピオンになった誇りで、先輩に教えをこうことができず、周りの人との関係も悪化した。しまいには、「あいつは、使えないチャンピオン」だと言われた。挫折の20代。結局24歳のとき、高山に戻った。 久しぶりにふるさとに戻り、父の会社に入ったら、様変わりしていた。父は現場から退き、無敵の思いで舞い戻った2代目に対して、社内に渦巻く人間関係の軋轢は想像を超えていた。 時は、バブルで建設ラッシュ。利益第一主義で厳しいノルマを課せられ、現場で陣頭指揮を執り、セメントによる巨大ビルを次々と手がけ、ボロボロになるまで働いたが、いつしか名古屋にいた時と同じように、会社の中で孤立するようになった。先輩には陰口を言われ、ストレスで髪が抜け、めまいがし、動悸が激しくなり、吐き気がした。自律神経が壊れていった。しだいに「職人の心」も失っていった。 そんな時に、出会ったのが「天然の土」だった。35歳のとき、江戸時代の土蔵の解体の際、黒漆喰の扉に釘付けになった。100年以上経っているのに、鏡のように輝いていた。その時、自分も天然の土を使って、壁を塗りたいと思った。付近の山や川で採ってきた色土を調合して、試し塗りする日々が続いた。作っては壊し、作っては壊しの連続。とくかく土のことが知りたくて、寝る間も惜しいくらいだった。その頃から、跡継ぎとして入った親父の会社から独立したいという気持ちが芽生え始めた。 |
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2001年、ついに、挟土さんは、父が創業した会社を辞めて独立した。業界でも珍しい天然の土壁を作る会社をおこした。左官職人14人をまとめる親方となった。 左官には臆病者が向いている 日本で最も忙しい左官となった今でも、壁を塗るときには不安になる。新たな壁を塗るときは、いつも不安で押しつぶされそうになる。でもこの仕事は、臆病者の方がいいと思っている。 |
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■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画教室開講中 |
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