展示されている写真の中の飛行兵たちは、笑っている。なぜ死を目前にして笑っていられるのか…遺書を読んでも、同世代に思えない。言葉を失った。戦争や特攻隊への考え方が変わった。死ぬ意味を見出して特攻に行った。その運命を国が決めていた。そして、いまも当時の思いを引きずっている人がいる…。
板津さんは、自分が生き残ったことを「事実や歴史を残していくために自分が生かされた」と考え、戦後、市役所に勤めながら、休日、全国の特攻隊員の遺族を訪ね、遺影や遺書などを集めてまわった。「戦争で亡くなった仲間たちは平和を望んでいた。でも、今の人々が何をすべきか教科書には載っていない。だから、平和を守るために、これからも平和の話をしていこうと思う」と板津さんは話してくれた。仲田さんも「自分が何かすることで、少しでも、板津さんの肩の荷をおろしてあげられれば」と思った。必死で思いを受け止めようという自分がいた。何かを託されているような気になった。
2005年、初の写真展を大阪、東京、金沢、舞鶴、喜界島で開催した。合わせて2万人あまりが訪れた。たくさんの高齢の経験者たちが来てくれ、いろんなことを教えてもらった。若い人たちも、積極的な感想を寄せてくれた。直接、人と写真が触れ合った。写真の持つ大きな力を再確認した。これまでにまいた種が、さまざまな形で花をつけたと実感した。
「これまでは、撮りたい写真を撮っていた。これからは、撮らねばならない写真を撮るのだ」と自分の道が見えた気がした。そして、「戦争を記憶している人たちは、もう80歳前後のご高齢。今、耳を傾けなければ、この先の世代には伝わらない」と、時間を見つけては、体験談を聞いて回っている。
『戦争』を若い世代に伝えようという思いもわきあがってきた。高校や大学で話す機会も増えた。
「心から、ものすごくわからない何か≠ェこみあがってきた」
「花が人のように見えてきた。仲田さんが見つけてくれるのを待っていたようだ」
「写真は綺麗だったが、その裏に戦争という黒いものが秘められていると感じた」
「特攻隊のあなたたちがいたから、いまの自分がある」
「特攻花を落としてくれて、ありがとう」…若い人たちも、写真を見て、真摯に考えてくれている。
特攻隊のことは、調べれば調べるほどわからなくなってきた。自ら志願した人もいれば、行きたくなかった人もいるはずだ。あの戦争は何だったのか。亡くなった人たちのおかげで、我々は生かされているのか。今の時代と礎となったのか…。考えれば考えるほど、わからなくなる。その答えを「特攻花」に求めている気がする。
『特攻花』を撮り始めて今年で丁度10年目。特攻花と出会う前と出会ってからは、大きく自分が変わった。以前は、自分の思いを伝えると批判されそうで臆病だった。いまは、溢れる思いを伝えないといけない気持ちになった。
仲田さんの心の中に「一心百花」という言葉が浮かんできた。一つの心が、百の花を開かせる。思いは繋がる。一つの出来事が百のことに繋がる。
|