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人呼んで「特攻花」 |
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太平洋戦争末期、喜界島には、九州の基地から沖縄に向かう特攻機の中継・出撃基地があった。特攻隊員には、娘たちから花が贈られたが、花も一緒に散るのはしのびないと、花を空から落として別れを惜しんだり、花を滑走路に置いて飛び立ったりしたという。その花が、戦後65年経った今も咲き続けていると言われている。
仲田さんが、『特攻花』と出会ったのは、2001年、19歳、短大2年の夏だった。授業で『特攻花』 のことを知る。講師の「撮りに行きたいやつはおるか?」という声に、なぜか手を挙げた。一目ぼれだった。誰かの後をいつもついていくだけだった自分が、『特攻花』 については、「一人でやってみたい」と思った。自分を変えてくれたのが『特攻花』 だと思っている。 花の思いを伝える |
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展示されている写真の中の飛行兵たちは、笑っている。なぜ死を目前にして笑っていられるのか…遺書を読んでも、同世代に思えない。言葉を失った。戦争や特攻隊への考え方が変わった。死ぬ意味を見出して特攻に行った。その運命を国が決めていた。そして、いまも当時の思いを引きずっている人がいる…。 2005年、初の写真展を大阪、東京、金沢、舞鶴、喜界島で開催した。合わせて2万人あまりが訪れた。たくさんの高齢の経験者たちが来てくれ、いろんなことを教えてもらった。若い人たちも、積極的な感想を寄せてくれた。直接、人と写真が触れ合った。写真の持つ大きな力を再確認した。これまでにまいた種が、さまざまな形で花をつけたと実感した。 特攻隊のことは、調べれば調べるほどわからなくなってきた。自ら志願した人もいれば、行きたくなかった人もいるはずだ。あの戦争は何だったのか。亡くなった人たちのおかげで、我々は生かされているのか。今の時代と礎となったのか…。考えれば考えるほど、わからなくなる。その答えを「特攻花」に求めている気がする。 |
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| ■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画教室開講中 |
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