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いま女優としての花が咲き開き始めたサヘル・ローズさん。サヘルという名は、サハラ砂漠周辺の乾燥地帯の名称で、「静か」という意味がある。祖母がつけてくれた。バラが好きな育ての母が、愛称を「ローズ」とつけてくれた。2人の縁の人の思いが重なった名前だ。 壮絶な日々 |
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![]() 空襲警報におびえていた1989 年2月下旬の夜。イラクによる大規模な空襲で、町の住民400人がほとんど死亡した。3歳のサヘルは、両親と兄弟10人を一度に失った。サヘルだけが、奇跡的に助かった。 空襲から4日目の朝、ボランティアの女子大生が、瓦礫の間に咲く青い花の近くに、小さな手を見つけた。人形の手かと思ったら、サヘルの手だった。その女子大生フローラが今の母だ。救出されたときに、フローラを見て「お母さん」と呼んだらしい。そのときに心は決まっていたのかもしれない。 サヘルは救出された後、いったん孤児院に入ったが、フローラが数ヵ月後、サヘルを引き取った。フローラには、小さいころから孤児を養子にしたいという夢があった。 資産家だったフローラの親は、未婚の若い娘が孤児を引き取ることに反対し、絶縁された。寄る辺を失ったフローラは、サヘルを連れて、1993年、日本に留学中の婚約者のイラン人青年を頼り、来日した。フローラ23才。サヘル8才の時だ。 埼玉県志木市の六畳一間のアパートに、母の婚約者と暮した。つかの間の幸せな三人での生活だった。しかし、婚約者は一週間ほどで、サヘルに暴力を振るい始める。そして、「好きな人ができたから、出て行ってくれ」の一言で追い出された。行くあてのない2人は、公園で生活を始めた。土管の形をした遊具の中で生活した。公園の水道で顔を洗い、娘は小学校へ、母は工場へ出かけた。給食のない土日は、パンの耳を買ってきて二人で食べた。 |
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そんな日々から救ってくれた人がいた。小学校の給食調理員の女性だった。電話帳を繰って、ペルシャ絨毯を織る仕事を見つけてくれた。調理員たちでお金を出し合って、サヘルの自転車を買ってくれた。小学校では、校長先生が補習授業で日本語を教えてくれた。 本当のサヘル 生き残ったことに、意味があると思う。戦争反対の思いと、平和の大切さを訴えるために、生かされた命を使いたい。目標はハリウッド女優になって、ふるさとに、孤児のために施設を建設することだ。ロバート・デ・ニーロやアル・パチーノと共演したいという夢もある。そして、「いつか、オスカーを取って、母さんに渡したい」。 |
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■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画教室開講中 |
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