「難民少女、小学校卒業」の新聞記事を見て、一人の日本人男性から手紙が届いた。「僕は、隣の座間市に住む18歳の久郷と申します・・・」という書き出しだった。辛抱強く、温かく支え続けてくれた。彼も、4歳で父を亡くし寂しい子ども時代を送っていた。「海水浴に行くとき、私との肌のバランスを取るため、前日に日焼けしに行き、軽いやけどをしたそうだ」。「デートに2時間遅れても待ってくれていた」。やさしくて、いじらしいところにほだされ、88年、長い間文通を続けていた久郷正彦さんと結婚した。長男、長女に恵まれた。
赦すということ
99年、難民を助ける会に呼ばれ、体験をスピーチした。人前で体験を語るのは、初めてのことだった。これをきっかけに心の奥にしまっていたことがあふれ出した。ミレニアムというタイミングもきっかけになった。体験を本にしたいという願いが実を結んだ。01年、処女作『色のない空』が刊行される。
家族もこの本で、体験を知ることになる。「隠していたわけではない。言わなかっただけ」。夫は7回、長男は3回読んでくれた。
必死に生き延びて幸せをつかみ、時間に余裕ができたと感じたころ、母や姉妹が夢に出てきて訴えた。母と姉妹が「助けて」と叫ぶ夢を何度も見た。言葉にできない苦しさを感じた。「なぜ自分だけ生き残ったのか」・・・それには意味があるはずだ。
憎しみは、膨大なエネルギーを消耗させる。憎むのではない方法を探し自問自答の日々を送った。思い詰めた末、失った家族の葬儀をしようと決めた。
05年秋、当時13歳の娘と一緒にカンボジアに向かい慰霊の儀式を行った。二度と足を踏み入れないと誓った村を30年ぶりに訪れた。首都プノンペンの北130キロの農村。7000人が虐殺されたとされる場所だ。
村へ続く門をくぐると、無数の死者が出迎えているように見えた。涙があふれた。隣の長女が手をさすってくれた。
たまたま掘り出された骨を、肉親として火葬した。犠牲になったすべての人への祈りを込めた。重労働を強いた元ポル・ポト派の農民も慰霊の儀式に加わってくれた。
決意の剃髪もした。カンボジアでは、近親者の葬儀で、剃髪する習慣があるが、女性が剃るのは珍しい。頭を剃ってくれたのも、加害者の立場だった年老いた女性だった。指先のぬくもりが伝わり、「この人たちも同じ人間だ」と初めて実感した。
母親が諭してくれた「憎まない。仕返ししない」という言葉が蘇った。赦す気持ちが湧いてきた。赦すということは、水に流すことではない。真正面から真実に向き合ってこそ赦せる。過去には、たくさんの教訓がある。
1975年4月、ポル・ポト派による強制退去が始まる直前に撮った家族写真がある。ここに亡くなった兄や姉妹も一緒に写っている。タル兄さんは、フランス留学を夢見る18歳。オーク姉さんは、スポーツ万能、何でも楽しめる17歳。マオ姉さんは、おしとやかな美人の15歳。末娘のナエットちゃんは、クリクリした目、長いまつげの8歳。
この4人の笑顔は、もう見ることが出来ない。だからこそ、世界中が笑顔で満ち溢れるようになることが、ポンナレットさんの願いだ。
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