あまりの環境変化に体がついていけず、結婚後初めての正月は、京大病院に入院して、大手術をするはめになった。一過性虚血発作。左右の頚動脈が細くなり、バイパス手術をした。一命は取り留めたものの、友人からは、田舎者が雅な公家の家に入り、「水が合わなかった」と皮肉られた。妻にも契約違反と言われ、以後、頭が上がらなくなった。
50を前に戸惑いが消えた
冷泉家では、藤原俊成と定家は『神様』。歌聖と呼ばれる定家の古典籍が収められた冷泉家の蔵は、『御文庫』と呼ばれ、神のいる所といわれてきた。誰彼と入れない。原則として、当主しか入れない。当主は、毎朝、出かける時にお参りするのが慣わしになっている。
冷泉家に婿入りした当初は、戸惑いや後悔の念が拭えなかった。そんな為人さんを変えた、ある出来事があった。結婚から9年目、49歳の時のことだ。
一人、御文庫に入り、初めて、藤原俊成自筆の歌論集『古来風躰抄』を見た。すると、突然、身震いがして、髪の毛が逆立つほどの衝撃を受けた。息が止まった。俊成84歳の書を見てただただ「美しい!」と感じた。凛と力強く、品格があり、近寄りがたかった。
「冷泉家とその文化をよろしく頼む」と言われているような気がした。『冷泉家の蔵番』になろうと思った。『日本文化の蔵番』になろうと決心した。自分にしか出来ない仕事、自分に与えられた仕事は、これだと思った。50歳を前にして、ようやく見つけた自分の道だった。
文化を伝える心構え
冷泉家には、想像を絶するほどの年中行事がある。正月、歌会始、節分、桃の節句、端午の節句、小倉山会(定家の命日)、更衣、七夕(乞巧奠)、黄門影供(俊成の命日)、秋山会…。正月の行事は、12月13日に準備を始めるという「事始」がある。行事をこなしていると、一年が過ぎている。
『乞巧奠(きっこうてん)』は、七月七日の節句を祭るものだ。古式に則り、祭壇の飾り付けや儀式の進行が行われる。男女が向かい合って和歌を詠みあう。和歌は、もともと、携帯メールのやり取りのように、気持ちをやり取りするものだった。
『乞巧奠』のしつらえを見ると、皿が9つ並び、いろいろな供物が供えてあった。しかし、中に一皿だけ、空のものがある。「あの皿は、何?」と為人さんに聞くと、「私にも分らない」という答えが返ってきた。「私も、始めは、何故だと思った。空なのに置かれているのには深いわけがあるのではないか」と考えた。理屈でものを理解しようとしていた。妻に聞いたら、ただ一言「昔からしてます」。いちいち疑問を差し挟んでいては、様式や文化を伝えることは出来ない。
型の文化、口伝文化とは、そういうものかもしれない。そりあえず型を伝え、あとは推し量ればいいのだと思う。現代では希薄になりつつあるが、察する、推し量るというのも日本文化の一つだ。
冷泉家は、厳然と日本文化を伝えてきた。祖先が、書き残したものは厳然と存在し、色あせず、輝きを放っている。それを支えにして、目標にして行動することが極めて大事と考えるようになった。「人生は、有限で一度きり。覚悟せよ」と定家や俊成の声が聞こえる。
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