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パパ荒川さんは、50歳で念願の歌手デビューをかなえた。 |
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![]() 荒川さんは、1958年、長崎県長崎市池島(旧・西彼杵郡外海町池島)の生まれ。3人兄弟の末っ子だった。父は、炭鉱で働いていたが、転職することになり、小学校3年の時、愛知県大府市にやってきた。そこで、野球を始め、以来、甲子園を目指す野球少年になった。 歌う事も好きだった。小学校4年で初めて買ったレコードは、なんと内山田洋とクールファイブの「この愛に生きて」。おませな少年だった。中学3年の時に、井上陽水の「傘がない」に衝撃を受け、自分も歌いたいと、ギターを買ってもらい、野球の合間に歌う日々が続いた。 野球熱も冷めず、高校(半田商)でも野球、名古屋学院大学でも野球。だが、肩を壊し、野球を断念した。そして、いよいよ、大学卒業後、音楽の道でプロになる事を目指す。 1981年、プロ歌手になるべく、婚約者の伊束子(いつこ)さんを残して、上京した。しかし、活動もはかどらず、遠距離恋愛にも耐えきれず、翌年、愛知に戻った。伊束子さんは、妊娠した。いわゆる「出来ちゃった婚」になるはずだったが、結婚を承諾してもらおうと、伊束子さん宅を訪れたところ、父親に一喝され殴られたあげく、断られてしまった。妹の計らいによって、東京へ駆け落ちするのだが、伊束子さんの父が倒れ、再び愛知に戻ることになる。 歌手への道を諦め、就職する事で結婚を許してもらう。地元の金融関係の会社に就職した。3年間勤めたが、夢を失い、稼ぐためだけに働く事に違和感を覚えた。 1985年、27歳の時に再度の上京を決意。妻子を連れて上京した。当時は空前のバンドブームだった。オーディションを次々受けるが、不合格が続いた。どこまでも運のなさが付きまとう。ライブハウスで歌いながら、アルバイトで食いつなぐ日々だった。 歌手になれない |
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そんな時、『次女事件』が起こる。1996年の夏、高1になった次女は、学校でバンドを結成したが、人間関係がうまくいかず、夏休みにバンドを解散し、家で腐っていた。その次女に向かって荒川さんが「いい加減になるなよ!」と喝をいれた。その時に事件は起こった。 歌手になれた 長女、次女、三女の3人は、歌手志望。四女は、俳優志望、長男は野球選手志望。苦しい生活の中でも、親の背中を見て育ってきたようだ。子どもたちが、パパが歩いてきた道を志したのには、「パパは、夢を持っていてスゴイ」と言い続けてくれた妻・伊束子さんの存在が大きい。 |
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■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画教室開講中 |
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