周囲が沈みがちな中にあって、姉の深い愛情と叱咤激励は大きな支えになった。妹が病気と聞き、住んでいたアメリカから、急遽帰国してくれた。姉は「親が泣いてばかりだったから、私がやらなければ」と思ったからと、後にパワフルな言動や行動の理由を教えてくれたが、大谷さんは、「逆の立場だったら、決して、あそこまではできない」と思った。
「骨髄バンク作ったら?」と言ったのも姉だった。アメリカの骨髄バンク事情も調べた上で、「貴子に間に合わなくても、誰かの命に間に合えば、生きた値打ちがあるよ」とこともなげに語った。
明けて88年、1並びの1月11日に、移植手術は行われた。大谷さんはこの日を第2の誕生日と呼んでいる。去年2度目の成人を迎えた。
助けられた命を生かして、白血病のために役立ちたいと、退院後、骨髄バンク設立に向けた活動を開始した。患者たちには、「今日を信じてください。今日寝たら、明日が今日になって、その今日を信じてほしい」と、自らがそう思い続けて生還した体験に裏打ちされた言葉で励ます。医師と患者の架け橋になるには、プロの知識を身につける必要があると考え、92年には、初級カウンセラー、94年には、精神対話士の資格を取得した。
実は大谷さんの両親は、最高裁までに及ぶ長い離婚調停の後、発病と時を同じくして、離婚していた。
一昨年6月、父は胃がんで死去したが、その半年前に、両親は復縁した。亡くなる半年前、父が自ら母に看病を頼んだのだ。父の病床に家族が全員顔を揃え、家族がまた一つになれた。
内科医だった父は、大谷さんが白血病とわかったときは、わが娘を救えない絶望感から泣いてばかりいた。しかし自分の発病後は『自分が、子どもより先に死ねるとわかって良かった』と、穏やかに語っていた。
父に反感を抱いていた時期もあったが、「父がいるからこそ、自分がいる」と気づけた。病気を経験して多くの感情に出会ったことが、大谷さんを成長させてくれた。
「生きているそのこと自体が人の役に立つ。小さな積み重ねが誰かのためになる」。大谷さん自身が、誰かのために生き続けたいのだ。
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