東京で看板職人になった。趣味の詩を書く仲間や、21歳で結婚した妻が心のよすがとなり、母親への復讐の念がしだいに薄らいでいく。
37歳の時、二日酔いで看板を描いていて、梯子ごと倒れ、腰椎を骨折。看板工に戻るのは不可能だった。2ヶ月の入院中に「子ども向けの詩」を書き始める。生活のためだった。
ナンセンスでなくなった麟太郎さん
育ての母と心が通じたのは12年前、55歳の時だった。講演のついでに立ち寄った実家でたまたま2人きりになった。卓袱台の上にはお菓子があった。言葉少なくお茶を飲んでいた。そのときの光景は目に焼きついている。
唐突に母が切り出した。「麟ちゃん、愛せなくてごめんね」。「もういいよ」とだけ答えた。母のその一言で、『もう母のことを書いてもいいんじゃないか・・・』と思った。
内田さんは、書くまい、書けないと思っていた「おかあさん」をテーマにした作品を書くようになった。『かあちゃんかいじゅう』、『おかあさんになるってどんなこと』、『かあさんのこころ』と沈黙を破った後は、次から次に堰を切ったように出版した。「これらの絵本を書くために生きてきたのか・・・」と本人が思うほどだった。
『おかあさんになるってどんなこと』で、内田さんはこんなふうに書いている。『おかあさんになるってことは・・・しんぱいして、おもわずぎゅっとだきしめて、おもわずなみだがでることよ』と。母親になり切れない女性が増えている昨今だから、「お母さんになることは難しくない」と訴えかける。
自分もそうしてもらいたかったから、どの子も無条件に愛されてほしい。たとえ、血がつながっていなくても子どもを愛することは出来る。
もう「ナンセンス」だけにこだわる気持ちはない。かつては「ナンセンスでなくては」と執着していた。母を許し、自分の気持ちを素直に受け入れられるようになってからは、「自分の気持ち」がそのまま作品に出せるようになった。
「人間誰しも、昨日までの自分から、新しい自分に生まれ変われる」可能性を持っている。過去に執着していた自分を乗り越える力を持っている。
内田さんの好きな言葉は、「昼寝、ごろ寝、またね」だとか。内田さん、またね!
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