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還暦のプリマ 世界的なプリマバレリーナ、森下洋子さんにとって、今年は、節目の年だ。団長を務める松山バレエ団が創立60周年を迎えた。それを記念して、チャイコフスキーの三大バレエ全幕上演に取り組んでいる。1月に《新・白鳥の湖》公演を終え、4月5月に《眠れる森の美女》を上演、そして12月には《くるみ割り人形》を踊る。 |
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![]() もうひとつの節目。森下さんは、12月に60歳。還暦を迎える。この年齢で、全幕を踊り切るバレリーナは、世界でも例がない。 くるみ割り人形のクララといえば、12歳という設定。60歳の森下さんが踊ることになるのだが、「年を取れば取るほど、無邪気になれるの。年々、クララに近づいていけるの。演じようとしなくなってきたの」と屈託なく語る。 若いころ見えなかったものが見える。40歳過ぎてから踊ることか面白くなってきたという。人生を重ねてきたからこそ出せる哀しさ、優しさもある。 「体力、気力の限界は一度も感じたことがない」という。150センチ、38キロの体のどこに、そんな体力、気力が潜んでいるのだろう。 「心を磨くことが何より大切」ともいう。「心磨きのためには、良いことを思うようにしている」。「バレエは心の芸術。技術ではなく心で見せるものだから」 さらに、森下さんの有名すぎる有名な言葉に、「一日休むと自分にわかり、2日休むと仲間にわかり、3日休むと観客にわかる」というのがある。稽古を一日たりとも休んではならないという戒めの言葉だ。いまも、午前中は、バーレッスン、基礎練習の時間。一日5〜6時間は、稽古に当てている。 |
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祖母と母の支え 森下さんの海外での評価は、著しく高い。1974年、ヴァルナ国際バレエコンクールで、日本人として初の金賞を受けた。1981年、パリ・オペラ座に、日本人として初めて出演した。1983年、ヌレエフのパートナーとして指名される。1985年、イギリスのローレンス・オリビエ賞を受けた。日本でも、1997年、女性で最年少の文化功労者、2002年には、日本芸術院会員となっている。日本バレエ界の押しも押されもせぬ第一人者である。 森下さんが、バレエを始めたのは3歳のとき。もともと病弱で、病院通いばかりしていた。親が、体を鍛えるために何かさせたいと思い、自宅の真ん前にあったバレエ教室に通わせた。これが、体操教室や水泳教室だったら、世界のプリマ森下は出現していないかもしれない。不思議な巡り合わせだ。 自分のバレエ人生を振り返ってみると、力で踊っていたのが、20代。気持ちいいぐらい体が動かせた30代。やっと、のびのびと踊れるようになった40代は、内面で何かが進んでいることを実感出来た。そして、50代に入り、踊ることがますます楽しめるようになった。還暦を目前に控えて、肉体を衰えさせないためには稽古しかないと、バーレッスンを怠らない。森下さんに、どんな60代が待ち受けているのか、楽しみでならない。 |
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■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画教室開講中 |
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