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4月。新学期。希望に胸膨らませている子どもたちも多いことだろう。みんな入学したときは、ピカピカの気持ちなのに、時間が経つに連れ、学校が疎ましい存在になっていくのは、なぜだろう。でも、こんな先生に巡り会っていれば、学校が楽しい存在になるだろうと思う。 |
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![]() 松崎さんを語るにおいて、欠かせないのは彼の母親のことだ。大正9年、佐賀県に生まれた母の名は、ヤエという。 松崎さんは、母に叱られた経験がない。母は、ぐちも言わなかった。辛く当たったこともなかった。勉強しなさい、出世しなさいも言わなかった。ただ「人それぞれに自分の花を咲かせればよい」と。 いつも誕生日になると、正座させられて、生まれたいきさつを聞かされた。松崎さんは、昭和20年11月、日本への引き揚げを待つ大混乱のさなか、旧・満州で生まれた。松崎さんが生まれる直前、栄養失調で兄が1歳の誕生日を待たずに死亡した。 まさに母は、命がけで産んでくれたのだ。誕生日は母に感謝する日なのだ。「おまえの命のうしろには、無念な思いで死んでいったたくさんの命がつながっとるとよ」 松崎さんが生まれた後も、二人の弟が亡くなり、母は、あわせて3人の子を亡くしている。「自分の子を亡くすことが、どげん、悲しかことか」母は、何度も口にしていた。 母は、日雇い仕事しながら、子どもを育てた。小学校3年の頃、長崎の繁華街を流れるどぶ川沿いのバラック小屋に住んでいた。 |
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学校で過ごした時間 ある時、「夕日」という詩を教材に、素敵な詩を朗読し分析して、いい授業が出来たと、自画自賛、感激していたら、生徒は窓の外の夕日を見て、一人一人の感慨にひたっていた。 夜間中学の生徒たちは、文字への思いが深い。だから授業は、単なる文字の学習にはならない。彼らが生きて来た道筋に思いを馳せる場となる。想像力も表現力も豊かな人達ばかりだ。 30年の経験から、「勉強は幸せになるためにするもの」でなければならないと松崎さんは思っている。「心を豊かにするための道具。心を耕すための道具だ」とも。 |
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■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画教室開講中 |
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