イスキアには、大きな丸いちゃぶ台が置かれている。20人はゆったり座れる。ちゃぶ台囲んで、同じものを一緒に食べると、心が通じ合える。「食べることは、人の心が最もよく伝わる表現だ」そう初女さんは考えている。
おいしいものを食べてもらって、心を込めておむすびを作って、初女さんは、訪れた人の話を聞いているだけだ。「私にとって支えるとは共にいること。その人が自分で答えを見つけるお手伝いをするのが私の役目。“そうだね”“大変だったね”その人の立場で、共に喜び、共に悲しむ」そうしていれば、みんな自分の力で変わっていく。癒しとは、他人によってではなく、自分の気づきで起こるものだ。
いろんな思いを抱いた人が、初女さんのもとを訪れる。
摂食障害の女の子がやってきた。みんなに「食べなきゃだめ」と言われ続け辟易としていた。初女さんは、「無理して食べなくていいよ」とだけ言った。
そうしていつものようにおむすびを作り始めた。傍らで様子を見ていた少女は、ためらいがちに手伝い始めた。出来上がったおむすびを「コンビニのとはまるで違う」と言ってペロリとたいらげた。少女は、誰が作ったかわからないものは食べられなかったのだ。食べるということは信頼の証しでもある。
会社を辞めたことを家族に言い出せない男性が、イスキアのことが書かれた新聞の切り抜きを持って、突然訪れた。初女さんは、名前も聞かずに、一夜の宿を提供した。「記事を読んで、母が作ってくれた遠足のおむすびのおいしさを思い出した」と男性は語った。会社を辞めたことで自己否定をしていることを打ち明けた。翌朝、帰る男性に、初女さんはだまって、おむすびを手渡した。男性は、電車の中で食べて、そしてむせび泣いた。母のおむすびの味を思い出した男性は、きっと家族に素直な自分の気持ちを話すことが出来たに違いない。
ほかにも、ここに来たことで、気持ちを切り替えた人が多くいる。不登校だったが、学校に行くようになった子。自殺を思い止まった人。嫌だった神官の後継ぎをすることにした人。介添え無しで一人で食べて「おいしい、おいしい」と言った認知症のお年寄り…。
なぜ、おむすびに、こんな力があるのだろうか。
「人の気持ちを支えるのに《食べる》ことは大切なこと」だと初女さんは言う。「心が詰まっていると食べられない。あるがままの自分を受け入れてもらっていると実感出来たら食べることが出来る」
「おいしい!」と思った瞬間、表情が変わる。心の扉が開く。おむすびは、文字通り、人と人の縁を結ぶ存在なのだ。
いのちの移し替え
初女さんは、いのちを生かすには、どういう調理をすればいいかと、いつもそればかり考えている。収穫の時も、調理の時も、食材に話しかけている。
初女さんは、「私はいのちの移し替えをしている」と話してくれた。《いのちの移し替え》なんて素敵な言葉だろう。
初女さんが調理をするとき、意識を集中させて、食材のいのちと心を通わせる。野菜をゆでていると、茎が透き通る瞬間がある。それを確認したらすぐ、火を止める。野菜のいのちが、私たちのいのちと一つになるため生まれ変わる瞬間なのだ。そうすることによって、体のすみずみまで血が通う料理が出来る。
食べると元気になることを実感するが、これを初女さんは、《穀力(こくぢから)》と呼ぶ。穀物、食物から大地のエネルギーを与えてもらえるから元気になるのだ。いのちを移し替えてもらっているのだ。初女さんが元気なのも、素直な気持ちで、穀力を受け入れているからにほかならない。
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