石井さんの一筋道
ステージに立つ姿は、83歳という年齢をまったく感じさせない。背筋もピンと張り、声にも張りがある。
元気の源は、女学校時代にあるようだ。石井さんが通った府立第六高女(現・三田高)は、運動がかなり盛んな学校だった。運動の時間になると、鏡張りの体育館で、音楽に合わせて歩いた。春と秋の2回、多摩川ベりを、最長で10里歩く催しがあった。女学校の時によく歩いたから、いまも元気でいられるのだという。
女学校には、当時としては珍しく、温水の25メートルプールもあった。夏も冬も泳げた。1987年、マスターズ台湾大会に出場。平泳ぎ50メートルで見事優勝した。
80代なのに、すべて自分の歯だというのには驚く。ワインのコルクを口に挟んで声を出す独特の方法で、声帯も鍛えている。このほかにも、石井式ストレッチ体操、室内ウォーキングマシン、野菜を中心にした食事…、「自分のことは、自分で面倒見なくちゃ」と、意気軒高である。
大正11(1922)年8月4日、東京・神田に生まれた。6歳からピアノを習ったが、面倒臭くて好きになれなかった。でも歌は好きだった。「歌うたいになる!」と宣言。ピアノを教えていた岡本玉子先生が、無理強いせず、歌を誉めてくれたから今がある。
東京芸大の前身の東京音楽学校・声楽専科に入学。音楽学校時代、友人の家で、シャンソンを初めて聞いた。『聞かせてよ 愛の言葉を』という曲が心に染みこんだ。この世にこんな美しい歌があったのかと驚いた。
ドイツ歌曲の歌手を目指していたが、戦争によって音楽の道を変えられたといっていい。戦後、ジャズ歌手としてデビューしたあと、アメリカに渡り、歌に磨きをかけた。それからフランスに渡り、昭和27年、パリでシャンソン歌手としてデビューしたのだった。
帰国後は、シャンソンを広めるために歌い続けたが、若手のシャンソン歌手を育てることにも尽力した。石井さんが企画して始めたシャンソン歌手が一同に集う「パリ祭」は、昭和38年以来続いている。
平成2(1990)年には、パリ・オランピア劇場で、日本人として初めてのリサイタルを成功させた。この成果が認められ、フランス芸術文化勲章《コマンドール章》を受賞している。
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