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日野原先生ウォッチング ことし93歳の聖路加(せいるか)国際病院名誉院長の日野原重明さん。「やることが多すぎて死ぬ暇がない」のだそうだ。とにかく超人的スケジュールだとは聞いていた。 |
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![]() とにかく時間に無駄がない。飛行機の中であろうと、出番待ちの楽屋であろうと、少しでも時間があったら、原稿を書いている。待ち時間を少なくするため、携帯電話で、送迎の時間をこまめに連絡している。 とにかく柔軟性がある。日野原さんが、朝食と昼食はジュースだけというのは、よく知られている。みんなで、お昼にお弁当を食べることになったとき、「日野原さんはどうされますか」と問うと、「夕食を抜けばいいんですから」と弁当に手をつけた。自分が食べたいだけ、無理をせずに食べている。融通無碍である。 もっと、とっつきにくい人かと思っていた。もっと、人の話に耳を傾けず、自分の話ばかりする人かと思っていた。さにあらず、思い込みはすべて打ち消された。 終始にこやかで、人なつこさいっぱいで、たくまざるユーモア精神があり、人の話にもきちんと耳を傾け、的をそらさぬ受け答えをしてくれる。行動は確かに超人だが、会ってみると、気のいい普通のおじいちゃんだった。 医師はかくあるべし 日野原さんは、1911(明治44年)、山口県で生まれた。 |
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患者体験を多く積んだことで、患者の気持ちもわかるし、患者として見た医師の気持ちもわかる。「医師は、死なない程度の病気をしたはうがいい」と若い医師に言っている。 日野原さんに影響を与えた医師を、あえて二人に絞ってみる。一人は、慢性腎臓病の母の治療をしてくれた安永謙逸(けんいつ)先生。全人医療をする家庭医で、当時豊かでなかった日野原家のため、治療費も往診料も請求しなかった。そんな安永先生を見ていて、母は「どんなに貧乏な人のところにも往診するような医者になってほしい」と願った。「私にとって、医師としての原風景のような人だ」と日野原さんは振り返る。 日野原さんの著書の中に、16世紀のフランスの医師バレという人の言葉が紹介されている。「治癒させることは、たまにしか出来ない。苦しみを和らげることは、しばしば出来る。患者の心を慰め、支えることは、いつでも出来る」 |
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■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画教室開講中 |
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