坂田さんは、呉市の長浜という瀬戸内海に面した漁村で生まれ育った。「少年時代の出来事は、全てかけがえのない財産」だという。坂田明を形作ったものは、瀬戸内と言い切ってもいいだろう。
ガキ大将ではなかった。「うそつきで素直でおっちょこちょい」の困ったガキだった。畑の作物を失敬するなどのイタズラをしては、怒られてばかりいた。母には、よくお灸をすえられた。
イタズラばかりしていたわけではない。坂田少年は、家の手伝いをよくした。畑仕事、水汲み、薪割り、草刈り、飯炊き、風呂焚き、父のトラック運送の助手、牛の世話…。大人のすることを手伝う喜びがあった。「大人の仲間入りをしたような気持ちになって嬉しかった」
もちろん海では、よく遊んだ。越中ふんどし姿で泳ぎもしたし、魚とりもした。牡蛎を見つけると石で割って、潮水で洗ってほおばった。学校へは、伝馬船を漕いで行った。学校の運動場の端は海だった。
小学校時代で思い出すのは、采(うね)先生のことだ。イタズラをしても優しく諭してくれた。後年、先生が上京した折り、蕨市の坂田家を訪ねたが留守だった。坂田さんが帰宅したら、玄関前の自転車のカゴに、封筒が置かれていた。開けたら手紙と一万円札が入っていた。翌日、先生が逗留している娘さんの家に行くと、「あんた、えらかったのう」と手を握って誉めてくれた。先生からもらったたくさんのものが、いまでも「心の栄養」になっている。
ミジンコはいのちの先生
ミジンコの研究者としても知られているが、ご本人は「ミジンコ研究者にあらず。ミジンコ勉強家」という。たった三週間の寿命のミジンコが、いのちの仕組みを教えてくれる。息子が、縁日の金魚すくいで、金魚を持ち帰ったことが、ミジンコ道に踏み入れるきっかけだった。25年ほど前から、水生生物を飼い始め、エサとしてミジンコを使いはじめた。顕微鏡で、ミジンコを眺めていると飽きない。不思議に心安らぐ。
ミジンコは、脳や心臓も透けて見える。「いのちが見える!」のだ。ミジンコは、0.5ミリから、2ミリの小さな小さな生き物だ。
ミジンコを見てると、いのちは、ほかのいのちに支えられていることを実感する。
100キロのカジキマグロがいたとする。100キロになるには、体重10〜20倍は食べなければならない。カツオやマグロを1トン食べる。カツオやマグロは、サバやイワシを10トン食べる。サバやイワシは、100トンの動物プランクトンを食べる。動物プランクトンは、1000トンの植物プランクトンを食べる。それらを育てるために、太陽と水と土がいる。
「ミジンコはミジンコの都合で生きている」のだ。生き物は、それぞれの都合で生きているのだ。「人間は、自分たちの愛が、すべてに通じるというおごりを捨てるべき!」と訴える声に力が入る。
地球は、膨大な数のいのちが、互いに育て合い、絶妙なバランスを保っている世界だ。「ミジンコは、透明な体で、いのちの何たるかを教えてくれているんだ」と、目を細めて無邪気に語る姿を見ていると、「この人はいったい何者?」とひとくくりに出来る人ではないことに改めて気づく。
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