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萩本欽一さんなどというと、すごくよそよそしく感じる。やはり「欽ちゃん!」と呼びたい。還暦過ぎた今も、誰からも「欽ちゃん!」と呼ばれている。 |
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![]() もともと大の野球好きだった。少年のころは、プロ野球選手になるのが夢だった。中学では野球部に入っていた。7番ライト、レギュラーだったが、打率は一割七分だった。そして、同世代の王貞治は、憧れの的だった。 そんなに大好きだったプロ野球が、最近つまらなくなった。欽ちゃんは、「なんとかして、面白くしたい!明るくしたい!」と思っている。「野球が飽きられたのは、同じ企画で、出演者をとっかえひっかえしてるだけだから」だ。 勝つための野球にこだわりすぎて、筋書きのあるドラマになってしまった。「送りバントは、やめてほしい。サードコーチもいらない。選手自身の判断で走塁させたらいい。キャッチャーも審判も、どうして観客にいつもおしり向けてるの?三振取れたらピースサインくらいしてもいいでしょ」 去年8月、糸井重里さんと「野球界から芸能界入りしたのは何人もいるが、芸能界から野球界入りは一人もいない。行けば最初の人だね」と冗談話していたら、それが現実のものになった。 |
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楽しい野球のアイデアは、いっぱいある。ゴールデンゴールズでは、エラーをしても悲しい顔は禁物だ。「てやんでい、へっちゃらだいの態度で行こう」と監督はおっしゃる。「アウトになっても明るく。空を見上げてスキップでベンチに戻れ」と指示する。ホームラン打ってホームベースにたどり着いたら、観客に「ただいまー」と挨拶する。観客も「おかえりー」と応じる。 欽ちゃんは、人育て名人 欽ちゃんが、こよなく敬愛する人と言えば、チャップリン。どうしても会いたくて、スイスのレマン湖のほとりにある家まで出掛けた。一回り13分もかかる大きな家だった。真冬、震えながら、家の前で、気づいてくれるのを待っていた。ついに4日目、応接間に招きいれてくれた。1971年1月27日のことだった。チャップリン82歳。欽ちゃん29歳。 |
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■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画教室開講中 |
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