企画・構成・演出も一人で手掛ける。子どもが、人を意識せず絵を描くような気分で取り組んでいる。舞台では、手で触れるものと格闘したいと、日常空間でよく使うものを大道具小道具にする。2トンのリンゴを使い、その上を転がり回ったこともある。漁師の使う網の中を魚のように動き回ったこともある。彼らは、圧倒的な存在感を持っている。もの言わぬだけに存在感がある。
彼らを相手役にして、違う自分、新しい自分に出会う場にしたいと考えている。『印象派』は、役に近づくというより、いかに自分に近づくかという実験の場なのだ。頭で考えるものではなく、体感するものだと、自分の体と声、そのエネルギーを出し切って表現している。いわば自己表現の限界に挑戦するアスリートのようでもある。『印象派』は、私のコロシアム(競技場)という。『印象派』を始めたことで、目標と意志と情熱を与えられ、虚飾を捨て去ることが出来た。
93年にスタートして、これまでに7回こなしてきた。2年後にファイナルを予定している。
最近、声の仕事が気に入っている。
『千と千尋の神隠し』の湯婆婆(ゆばあば)の声は、はじめ誰だかわからなかった。すごみのある「だま〜れ!」を聞いても、夏木さんの顔が思い浮かばなかった。宮崎駿監督に、『印象派』のビデオを送って売り込んだそうだ。
声の仕事には、顔が映らない解放感がある。しかし顔が映らない分、ニュアンスや雰囲気だけで許されるようなあいまいな表現は出来ないという厳しさもある。
究極の目標は、舞台に存在しているだけで、演技していないみたいと言われることだ。大袈裟なことを何もしないで、メッセージを伝えられたらいいと思う。「そのためには、旬の私、今の私としっかり付き合いたい」そのためにも、意識して自分に喜怒哀楽を与えるようにしている。感情が老化しないよう刺激を与えるようにしている。
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