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元気とは何ぞや その日の気圧がどのくらいになるのか気をもんだ。ゲストを招く日の気圧を心配したのは、初めてのことだ。何しろ、その人は、低気圧が接近すると、たちまち偏頭痛が起きるという。台風でも来ようものならアウトだと思っていたら、その日は、高気庄におおわれた晴天だったせいか上機嫌だった。 |
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![]() 「元」とは、おおもと、一番重要なもの。「気」とは、エネルギー。すなわち≪元気≫とは、宇宙のすべてのものの根元のエネルギーということになる。 五木さんは、「死を考え、死と向き合うことで、元気に死のう!」と呼びかる。死を恐れることはない。脅えることはない。死を遠ざけることは、生を遠ざけることになる。 五木さん自身、常に死を意識してきた。「早死にするに違いない」と思っていた。母が41歳、父が56歳、弟は1歳と42歳で、それぞれ病死した。そんな中で、自分だけが長生きするわけがないと思っていた。子どものころから腺病質で、虚弱体質。扁桃腺、中耳炎、備頭痛、風邪…病気のオンパレードだった。 仏教の考え方では、もともと人は、生まれながらにして四百四の病を抱えているとされる。病気は無から出てくるのではなく、その人の状態変化の中で、出たり引っ込んだりするものだというのだ。「考えてみれば、人生は死に向かう旅。病気を治すというより、病気をなるべく表に出さないように、折り合って生きていけばいいのではないか」と五木さんは思っている。 暗愁とは何ぞや 五木さんは、講演を依頼されるたびに、そのタイトルを「暗愁のゆくえ」としてきた。講演担当者は、戸惑う人も多かったにちがいない。日本一暗い話をする作家と思われていた節もある。それが最近では、「あの暗礁に乗り上げて…の話を」と錯覚されながらも、リクエストされるようになってきた。 |
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明治のころは、驚くほど広く使われていたが、五木さんによると、1945年に、永井荷風が使ったのを最後に、消えたという。戦後は、必死で暗愁を隠して、辛くとも作り笑顔で乗り越えるのを是とする風潮があった。暗愁を抱くのはいいことではないと、ひたすら隠してきたから、自殺者が3万人突破という事態を招いたと、五木さんは憂える。 喜びノートと悲しみノート 五木さんは、40代後半から、50代にさしかかるとき、更年期ともおぼしき、うつ状悪になった。トンネルから抜け出すために、≪喜びノート≫をつけ始めた。1日に1つずつ、なんでもいいから嬉しかったこと、楽しかったことを書いていった。「ネクタイが一気に結べた」「新幹線の窓際の席が取れて、富士山がよく見えた」 |
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■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画とは |
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