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なぜ写すのか なにを写すのか 写真家の大石芳野さんは、ベトナム、カンボジア、広島、沖縄、コソボなど、戦争の爪痕が消え去らない場所で、常に温かいまなざしを注ぎながら、そこで暮らす人々の写真を撮り続けている。 |
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![]() 子どもも、女性も、老けこんだ表情をしている。未婚の10代の少女なのに、40代の疲れ切った母親のように見える子もいた。彼女たちが、心を開くまでには時間がかかるが、しだいに、奥にしまい込んでいる感情が見え隠れしてくる。た くさんの眠が、戦争を雄弁に語り始める。「母がロケット弾で死んだ」「空爆で兄弟が殺された」「おもちゃと思ったら地雷だった」といった声を数多く聞いた。 アフガニスタンの人々は初対面でカメラを向けるとよく笑う。笑顔を意識的に作っているように思える。哀しいときつらいときだからこそ、ちょっとしたことでも大声で笑い合う。笑うことで、自分や他人を元気づけ合っているような気がする。 社会学者の鶴見和子さんが、大石さんの写真の特徴を、3つに分析している。 「よりリアルに、感動的に、戦争による女性と子どもらとの運命とその魂のありかたを写し出している」 「自分の眼と被写体になる人の眼と、きっちり向き合って、眼を通して、相手の心のありかたを深く探り当てている」 大石さんの優しいまなざしが、他の人には聞こえない女性や子どもたちの心の声を引さ出している。 「同じ場所に何回も立ち戻って、戦争による女性や子ビもたちへの影響を、個人を通してたどっている」 撮影した一人一人の表情が変化していく様子をきちんと見届けたいという思いが強い。眼に輝さが戻ってくるのを見たさに、危険をも顧みず、何度も紛争地に足を運ぶ。 真を伝えるまなざし まだカメラが普及してないころ、大石さんの家には蛇腹のついたカメラがあった。父のカメラを借りて、遠足などに持っていった。そして、大学進学の時、社会と関わる手段として選んだのがカメラだった。日本大学の写真学科に入る。 |
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写真家で生さようと決意したのは、学生時代、サイゴンを訪れたときのことだ。日本は高度成長の最中だったが、命懸けの毎日を生きるベトナムの青年達の現実を目の当たりにして、大いにショックを受けた。自分を見つめ、日本を見つめるため、地に足を着けて生きるために、写真を生涯の仕事にしようと思った。 |
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■イネ・セイミプロフィール フルート奏者として活躍中。俳画家。 絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。 * 俳画とは |
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